バンド「人間椅子」のブレークは地方回帰の象徴である
突然ですが、私が生まれてきて良かったと思えることを一つ挙げるとすれば、バンド「人間椅子」に出会えたことです。
いや、他にもっとあるだろと言われるでしょう。それを聞いたら妻子悲しむぞと。
ですが、どちらかを取れと言われたら迷いなく人間椅子を取るでしょう。
妻子は私がいなくなってもなんとか生きていくと思いますが、私はもう人間椅子なしでは生きられないからです。これは一種の信仰のようなものかもしれません。
もし自分が死ぬ日がわかったら、爆音で彼らの曲を聞きながら死にたいのです。
わがままを言えば、そのときはジョージ・ジョースター卿のように息子の腕に抱かれていたいですが、私の最後の言葉がベーシスト鈴木研一氏の狂気の笑い声にかき消されたとしても、曲は止めないでほしいです。
そのときの選曲を思うならば、そこが病院なら「埋葬蟲の唄」や「三途の川」なんて曲では流石に場が憚れるでしょうから、「黄金の夜明け」「羅生門」などの希望感のある壮大な曲か、「悉有仏性」あたりの仏教ソングが良いですね。「芳一受難」なら死んでからお坊さんに般若心経を読んでもらう上で予行練習になりそうです。
臨終に聞きたいミュージシャンの次点はキング・クリムゾンか中島みゆきですが、今のところその差は大きく、例えるなら日本一高い富士山と2位の北岳の知名度の差くらいの超えられない壁があります。
冗談はさておき、自分の人生の最終イベントに組み込まれているのだから、何があっても離れられるわけはありません。いや、生きている間も聴きますし、無人島に持っていきたいものでもNo.1です。
以下ではなぜそこまで好きなのかを説明します。何においても好みは人それぞれなので、皆さんが好きなミュージシャンに置き換えて考えてみてもらえればと思います。しかし、彼らがブレイクした今、彼ら自身は昔からあまり変わっていないことを考えると、変わったのは社会環境と日本人の精神性だと思うのです。それが今回の記事の大それたタイトルに繋がるとともに、言葉として整理したいと思ったのです。
人間椅子の「音楽性」
時期にも依りますが、彼らのジャンルとしてはメタルとかハードロックとかプログレとか言われます。それはディープ・パープルだったりブラック・サバスだったりキング・クリムゾンだったり、メンバーの音楽の嗜好から生まれたものです。しかしロックに興味がない人にこれらの違いを説くのは、ユニクロばかり着るおっさんにゴスロリと黒ロリとロリィタの違いをわからせるくらい困難です。
個人的には、プログレ感の強いアルバム「黄金の夜明け」〜「頽廃芸術展」あたりの頃の音楽性が一番好きです。
最近はロックンロール感が増しており、大きな抑揚を伴った長尺の曲が少なくなっているので、壮大な展開が好きな生粋のプログレファンは物足りないかもしれないです。しかしプログレはファンを選びますし、ライブで縦ノリする感じでもないので、今の音楽性のほうがYoutube映像やライブパフォーマンスきっかけにブレークするには良かったのかもしれないですね。
もともとメタルやハードロックも好きなので、そのような変遷はあったとしても今でもダントツで一番好きなバンドであることに変わりはありません。昔の曲も違和感なくライブでやってくれるのもありがたい。
当初から変わらないのは、大胆でストイックなリフ。とにかく耳残りと音の良さからくる気持ちよさが秀逸です。たまにダウンチューニングしまくりでエグいときもありますが、しかしどこか知的で、されども「狙いすぎて無い」感じ。一つのキャッチーなリフで押してくる他のバンドもたくさんあり、何回か聴くぶんにはそれも楽しいのですが、飽きることが多いのに対し、彼らの曲は飽きない。
これは単純に曲だけの魅力ではなく後述の人としての魅力を含め複合的なものかもしれませんが、とにかくリフ一発で心をもっていかれます。私にとって、一聴の衝撃で言うと「人面瘡」、「審判の日」、それから「見知らぬ世界」が思い起こされました。
そして、メインリフとして一曲作れそうな良質フレーズが一つの曲で何パターンも出てくることが贅沢感があります。そんな密な曲だらけなのにアルバムにはCDの限界くらい曲数を詰め込んでくれます。
更には、ブリッジ部分など1回しか出てこないフレーズがカッコよくてそこを聴きたくなって何度も同じ曲を聞いたりもします。ときには邪道な聴き方であることを認識しながらも、イントロやギターソロなど曲の一部を切り取って繰り返し聴いたりするほどの中毒パートを生み出します。
人間椅子の「歌詞」
ギター和嶋氏曲とベース鈴木氏曲では歌詞の路線が違っていて、最近は和嶋氏作詞曲が多い傾向です。和嶋氏の学業バックグラウンドや読書嗜好からくる難解な歌詞は考えさせられるし、仏教用語や文豪の著作からの一節も多いので、意味を調べると知識が増えるし本が読みたくなったりして興味の領域が広がります。
歌詞の元ネタがわからなくても、人生の格言となるようなワンフレーズがあったり、狂気を伴う言葉の選択、言葉遊びのようなものも面白く、感動に事欠きません。言葉のセンスで驚嘆したのは「どっとはらい」でしょうか。
歌詞も最近はわかりやすいようになってきて、少し説教臭い部分もありますが、一般人には想像ができない苦労をしてきてた人ですし、今はそれが風貌に現れまくっているので、説得力があるのです。
やれ「I am God’s child この腐敗した世界に堕とされた」とか若い小綺麗なねーちゃんが歌っても「お前が世界の何を知ってるんだよ」感がありますが、それがないです。加齢によって達観した風貌になったことも、彼らがこのタイミングにブレークする要件になったのかもしれませんね。
人間椅子の「土着性」
オリジナルメンバーの和嶋氏と鈴木氏は、青森県弘前生まれという部分が彼らの人としての奥行きを形成しているのです。歌唱時の発音、津軽三味線のフレーズを多用したギターソロが独自性を生んでいます。
津軽弁オンリーの「どだればち」やねぷたをフィーチャーした曲などド直球なものもあるのですが、それ以外でも様々なところで、純粋で朴訥で不器用、そして精神性を重んじた文化様式といった我々がイメージする青森人のパーソナリティを感じさせます。海外ウケの良い曲となっている「なまはげ」は秋田の精霊ですが、これをテーマに歌ってよいのは秋田人か青森人に限られる、と福島人として思います。
そうなのです。「みちのく」などとくくられて語られますが、同じ東北人ではあっても、秋田・青森あたりは少しだけ別世界感・別格感があります。そのため、同じ東北人として情緒性に共感できる部分がある一方で、異郷感・非日常感も感じられて1粒で二度美味しいというところがあります。
例えるなら、アメリカ人が中国圏の芸術を理解するのは、あまりの文化の違いからそうとうな困難が伴うでしょうけど、日本人ならば生活の端々に中国伝来のものがあるから、理解もしやすいし好きにもなりやすい。そんな感じです。
ここで声を大にして私が言いたいことがあります。少し昔なら、この「東北人がなまって唄っている」感じは、東京以西の日本人たちにはそれだけで一歩引かれていた気がするのです。
津軽弁といえば吉幾三が思い起こされますが、本格派の天才演歌歌手なのにもかかわらず、それよりはラッパーとしてMAD動画が多作されるなど変化球面での評価が目立ちます。
しかし、大震災を経て被災地住人の精神性が全国に評価されることがありました。それ以外にも、東京集中の問題が自然災害や社会問題であぶり出された結果、東北に限らず各地方の暮らしが見直され、地方の文化に対して「ダサい」とか「下に見る」感覚が若い人を中心になくなってきているのではないかと思うのです。
ましてや海外受けを狙って英語で歌ったりしたわけでもなく、30年前から基本は変えず地を行ったまま海外に注目されはじめたことからも分かる通り、グローバリゼーションを目指したから世界で売れたわけでなく、ローカリゼーションを極めたからこそ売れたのだと言えます。世界で多くのファンを生む日本のアニメソングだって、海外の人が勝手に日本語で歌ってくれるのです。これほど日本人として誇りを持て、カッコいいことはありません。(もちろん緻密なプロモーション戦略はあったと思います)
日本ローカルの文化から生まれた何かが海外でビジネスになるし、その価値に気付き行動する日本人が増えていることと、人間椅子のブレークのタイミングが重なったことは、偶然とは思えません。
人間椅子の「メンバー」
ギター&ヴォーカル:和嶋慎治氏
物静かでストイックな職人という感じで、とにかく30年以上も才能が枯れないのがすごいのです。
ファンの期待どおりの曲を30年以上書き続けるミュージシャンというと日本では片手くらいしか思いつきませんが、裏切らない度でいったらNo.1だと思います。
ブレークのきっかけとなった「無情のスキャット」は彼らのアンセムソングと言われかけていますが、デビュー30年経ってそう言われる曲を作ったならそれもすごいことです。しかし以前からのファンにとってはこの曲だけ特別優れているという感じも受けないほど、長きに渡って名曲を生み出し続けているのです。
かといって「どれを聞いても同じ曲に聞こえる」といったことがありません。こんなネタまだ持ってたのか!という引き出しの多さ。持っていたというよりは研究と鍛錬を重ねた努力の中から生み出しているのだと思います。
和嶋氏のギターの腕は、昔のほうがプレイが緻密で正確だったのかもしれませんが、素人ではとてもわからない高レベルをずっと維持しています。そもそも聴くほうとしては、生み出されたフレーズや表現が良ければ技術は重要視しないのです。速弾きに憧れてヴァン・ヘイレンを聴くギター少年のような聴き方は人間椅子ファンにはいないと思うものの、海外の人を含めてYoutubeでカバーされているので、弾いてみたくなるカッコよさがあるのでしょう。
かく言う素人な私も、和嶋氏に真似てギブソンのSGを購入して「芋虫」のイントロを耳コピしようとしましたが、フレーズ云々の前に和嶋氏のような音が作れませんでした。公式のバンドスコアは集めるものの、手を付けられない始末です。
ベース&ヴォーカル:鈴木研一氏
初期の代表曲には彼が作ったものも多く、彼のヴォーカル曲も多いです。しかし本人も言う通り作曲のアイディアは枯れている感があり、以前は「鈴木節」的な、妙にメロディアスで耳に残る秀逸なサビフレーズを連発していたのですが、最近はそういったものが少ないです。
しかし声が良いし、ベースの音がとくかく良いのでサウンド面では和嶋氏に劣らず人間椅子の中心的存在です。
人物的には、この忙しない世の中にして一人だけスロー再生の世界に生きるような、ゆったりした喋りで、それでいてウィットに富んだことを言うから人をひきつけます。ネットでコラムの連載を持っていますが、笑いのツボを計算した読者を裏切らない展開は、文才と地頭の良さを感じさせます。
ベースの音と同じように、とにかく味のある人物です。「ロックは顔で弾く」を体現しており、動画に寄せられる海外からのコメントを見ても、演奏中の表情がウケています。そんな愛されキャラだから、180センチある、50歳超えたスキンヘッドのオッサンが白塗りして血糊吐いたりしてても、ファンからは「けんちゃん、かわいい!」と言われます。ちなみに若い頃は、彫りが深く長髪が美しい色男で、BUCK-TICKの櫻井氏や大槻ケンヂ氏にも負けないセクシーさがありました。そんなセクシー映像をどうぞ。
ドラム&ヴォーカル:ナカジマノブ氏
途中加入ということもあり、プレイスタイルを語る上で前任の後藤マスヒロ氏の存在を避けられません。なにせ手数が超絶で変幻自在なマスヒロ氏のプレイはプログレ曲に欠かせず、ファンも多かったので、その後を継いで人間椅子をノブ氏の色にしていくのにプレッシャーはあったと思います。加入当初は音の面でも他の二人より3歩くらい後ろの控えめな感じでしたが、最近のハードロック路線の強い曲調において分厚く前進・躍動感ある音に欠かせない存在となっています。
性格面では人間椅子のネアカ担当。しかし漫画家の日野日出志マニアというのは人間椅子の昔からの世界観と通じるような気がしています。
自分を「アニキ」と呼ばせる理由はわかりませんが、それによりキャラ立ちし、ライブでも「アニキのコーナー」を確立。様式美的なセレモニーと化し、声をかけやすいため、昔からのファンにもすぐ馴染みました。
そのセルフプロデュース力の高さを存分に発揮し、今はSNS発信など人間椅子をプロモーション面からも支えます。他の二人と同じ系統の人物しかいなかったらSNS映えしないので、売れるために必要な人だったと思います。
人間椅子の「ライブ」
生の演奏力が高いのはもちろんのこと、昔の曲も惜しげなくやってくれるのが嬉しい。やりたいことが昔から一緒でブレないから違和感なくできるのだと思います。MCもまったりしていて余計なことをしないのが良いのです。
和嶋氏はちゃんと観客の方を見て演奏してくれます。アドリブもあって、このギターソロいつまで続くんだ?ってときもありますが、「キモ」となる部分はけっこう音源に忠実にやってくれます。
ライブというと「アーティストと観客との一体感」とよく言います。しかし私は「生演奏を体感しに行っている」ので、お遊戯のように振り付けを強要させたりするロックバンドのライブは、正直まったく求めていません(好みは人それぞれなので不快に思った人がいたら申し訳ないですが、私はそうです)。そんなことされなくても、ちゃんと(?)拳を振り上げるし、気分がノってきたら勝手にヘドバンしたりジャンプしたりもするし、それで十分に生演奏との一体感は得られるので、放っておいてほしいのです。人間椅子は不必要なノリを強要しないので、演奏を聴くのに集中できるのです。これはライブ新参者に疎外感を感じさせない上でとても良い性質なのではないでしょうか。
音はハードですが、ライブはモッシュが起こったりするほどキツくもなく、ちょうどいい具合で盛り上がれます。
売れたので今後は違うかもしれないが、小規模なライブハウスでやってくれるので、間近で見れますし、ファンクラブ会員でなくても鈴木氏を触れるくらいの位置につけます。チケットも取れるし、安いです。20年前は3,000円を切っていて、今でもやっと4,000円超えたくらいです。
去年山形でやってくれたときは、既にブレークの兆候があったにもかかわらず、東北の決して大きくない会場に来てくれてありがいものでした。会場も内容もとてもよかった。その会場は周辺への配慮で夜9時までしか演奏できないらしく、それを意識しすぎて時間が余る事態になりましたが、セットリストになかった「黒猫」をやってくれて満腹感ありました。「黒猫」は一つの到達点とも言える大名曲です。最後に8分の曲とか、体力的にきついだろうに、サービス精神旺盛。
人間椅子の「ファン」
私も若い頃は、Number Girl、ゆらゆら帝国、BLANKEY JET CITY、ミッシェル・ガン・エレファントなどいわゆる「ロッキンオン・ジャパン系」にも好きなバンドがいましたが、どうもファン層が肌に合いません。
昔、フェスに行ったら、会場のバックミュージックでNumber Girlのイントロが流れた瞬間、「フォーーー!!ナンバガ!!!!」とか叫んでいる女子大生みたいなのが側にいて、ドン引きした思い出があります。俺はこういう人と同じ感性なのか、って思ったら少し冷めました。どう楽しもうが人の勝手なので、我ながら嫌な性格と思いますが、ライブを本当に楽しむには周囲の雰囲気も重要なのです。
一方で人間椅子ファンは、たとえ街中で曲が偶然流れてきても、ニヤニヤしながら聞き耳立てて少し立ち止まるくらいで、決して奇声はあげないと確信します。ライブに行くとわかります。
絶対学校で浮いてるだろ、このあんちゃん、といった風情の若い男性が、曲に合わせて風変わりな舞を始めたのを見ると、逆になんか嬉しくなります。心に入り込んでるな、ここで発散してるんだな、がんばれよって感じがします。
かく言う私も人間椅子のライブは一人でしか行ったことがなく、開場から演奏開始までは目を閉じて瞑想しているので、同じようにへんな目で見られているかもしれませんが気にしません。私を含む根暗男性のほかには、いかにもロックマニア風の年齢のいった男性もちらほら見られます。暴れたくて来ているような凶暴な若者は少ないと思います。総じて筋肉少女帯や犬神サーカス団など「猟奇文学ロック系」に通じていますが、筋少はもっとバンギャが多くて場を取り仕切ってる感じですかね。自分には人間椅子が一番馴染みます。
なお、私が住む福島県会津若松市に存在する人間椅子ファンとして認識しているのは、子どもが通っている音楽教室のヴォーカルの先生だけです。子どもと妻としか面識がなく、コンタクトが取れませんが、そういう方が近くにいることがわかっただけでも嬉しいものです。
人間椅子との「出会い」
大学生のときにHMVをうろついていて、「怪人二十面相」をジャケ買いしました。
このアルバムには「芋虫」など代表曲が入っている上に佳曲揃いで、それ以来のファンですが、そのとき既に彼らは10年ほどキャリアがあったので、自分が特に古参とは思いません。
以後、過去のアルバムを集めた上で、新譜発売のたびに必ず買っていました。「途中で買うのやめたがまた最近聴くようになった」とかいうコメントがネット上にあったりもしますが、そんな気は全く起きないくらいずっと高いクオリティーの作品を出し続けていたと思います。ライブ動員もあまり伸びなかった時期に出されたアルバム「瘋痴狂」では、「品川心中」でぶっ飛びました。いまだにこんなにすごい曲を書くのに、なぜ世の中に注目されないのかと。
作品の良さもあるけど、日の当たらない時期が長かったので、自分がきちんとCDを買うことが彼らのバンド継続につながると信じて買い続けていました。周りにも勧めましたが、ミスチル好きとかばかりでまったく理解されません。ちょっと猟奇的な歌詞が聴こえてきただけでコミックバンド扱いです。唯一、ピンク・フロイドの大ファンという会社の変わり者の後輩に評価されたものの、オシャレな街・神戸生まれの彼に東北訛りは受け付けられなかったようです。
今、note公式では「はじめて買ったCD」というお題が立てられていますが、私が初めて買ったのは12歳くらいのときに筋肉少女帯の「元祖高木ブー伝説」です。今聞いてもかっこいいと思うし、まがいなきプログレ曲です。
筋肉少女帯も今でも聴くし大好きなバンドです。「筋肉少女帯人間椅子」というユニットが生まれるくらい、バンドどうしの交流がある上に共通のファンも多く、そのユニットのライブはまだ今ほど人間椅子に知名度がなかったものの、赤坂BLITZがソールドアウトしました。味をしめたか翌年は渋谷公会堂で2年連続となるライブをやったと思いますが、内容はほぼ同じでした。で、私も2回行って2回楽しめました。
さて、筋肉少女帯を買ったのは、兄の影響です。その音楽的嗜好の影響は多大に受けているものの、人間椅子は予備知識ゼロの状態でジャケ買いして、音楽も感性に突き刺さったということで、本当に自分が好きなものに純粋に出会えた感があるのです。
人間椅子の「これから」
2月に初の海外ライブを行い、日本での全国ツアーが予定されていた矢先のコロナ禍で、せっかく注目されているのに水をさされたような気がします。
しかしその一方で、自宅で過ごす時間が増えてYoutube閲覧が増えたことで、彼らの存在に気付いて新規ファンが増加する自体になっている様相も感じられます。
今の上昇気流を逃さないよう、ついに映画化だそうです。Youtubeでも、海外ライブの映像についたコメントの中に「映画化すべき」といったものがありましたが、まさか本当になるとは。
強力にプロモーションされているのは嬉しいことである一方で、「消費」されないことを願っています。もうちょっと露出を抑えた上で「マスコミにもまだ注目されていない伝説のバンド」みたいな雰囲気があったほうが、逆に彼らの価値を高める気もするのです。
個人的にあまり好きでない言葉に「唯一無二」というのがあります。最近は言葉での描写が難しいものに対して何でもかんでも使っているきらいがあります。コピーライターの仕事放棄なのか、そもそも素人が考えているのか、個性が強いものに対する褒め言葉としてそれさえ言っていれば無難な賛辞になるかのような連発具合です。本当は人間椅子にこそその言葉がふさわしいのですが、逆にチープに感じられるので、彼らを形容するのに使うのはやめてほしいですね。
注目されてからが大事でしょうから、ひととおり盛り上がったらまたじっくりと音楽職人やってほしい。そう思います。