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【読書録】『レター教室』三島由紀夫

三島由紀夫の小説は、有名なものはちょこちょこと読んだが、彼の硬い文体に、少々苦手意識を持っていた。でも、この小説『レター教室』(1968年)は、私の大のお気に入りの作品だ。

冒頭、いきなり次のように始まる。

このレター教室は、すこし風変わりな形式をとります。
五人の登場人物がかわるがわる書く手紙をおめにかけ、それがそのまま、文例ともなり、お手本ともなる、というぐあいにしたいと思います。(......)それぞれの一通は、一つの完結した世界です。(p9)

このとおり、5人の男女の手紙のやりとりが、そのまま物語になっている形式だ。三島文学の独特の硬い文体ではなくて、最初から最後まで、5人の一般人の手紙なので、むしろ、やわらかくて、とても読みやすいのだ。

そして、それぞれの手紙の、言葉の選択が見事で、テンポがよく、それぞれの登場人物の性格や感情、そして各登場人物間の関係性をよく表している。そして、独特の比喩や、皮肉などが散りばめられていて、とてもウィットに富んでいる。ついつい、クスッと笑ってしまう。

しかも、他人の手紙を同封して、「こんな手紙をもらったが、あなたはどう思うか?」など、第三者からもらった手紙についての意見を求める場面がいくつもある。そして、その手紙の感想を求められた相手が、その第三者の手紙を、言いたい放題に批評する様子がまた面白い。

素敵な表現が多すぎて、引用するとキリがないが、特に素敵だなと思った表現は、次のとおり。

第一、この、ラブ・レターには、あなたへの肉体への賛美の言葉が一つもないではありませんか。あなたは、そんなラブ・レターをゆるすことができますか。(p22)(「古風なラブ・レター」)

オジサンの特権で、はっきり言いますが、私はあなたと、ごいっしょにおやすみになりたい、という風な感想をいだいてしまいました。ごいっしょにおやすみあそばしてくださったら、あなたが生まれてから一度も知らなかったような、すばらしい夢を見せてあげます。何でもないことじゃありませんか。(p33)(「肉体的な愛の申し込み」)

貴下(あなた)のような人間通が、ご自分のこととなるとカラキシだめね。この手紙をよく読んでごらんなさい。とても首尾一貫していて、冷静で、この女は相当のシタタカ者よ。眉に唾をつけてつきあっても、また、アンコロ餅のつもりで馬糞をたべさせられますよ。(p48)(「処女でないことを打ちあける手紙」)

大ていの女は、年をとり、魅力を失えば失うほど、相手への思いやりや賛美を忘れ、しゃにむに自分を売り込もうとして失敗するのです。もうカスになった自分をね。自分のことをちっとも書かず、あなたの魅力だけをサラリと書き並べた大川点助の恋文には、私たちは大いに学ばねばなりません。そして片ときも忘れぬようにしましょう。あらゆる男は己惚れ屋である、ということを。(p55)(「同性への愛の告白」)

脅迫状は事務的で、冷たく、簡潔であればあるだけ凄味があります。第一、感情で脅迫状を書くというのはプロのやることではありません。卑劣に徹し、下賤に徹し、冷血に徹し、人間からズリ落ちた人間のやる仕事ですから、こちらの血がさわいでいては、脅迫状など書けません。便せんをすかしてみて、そこに少しでも人間の血の色がすいて見えるようでは、脅迫状は落第なのです。(p61)(「愛を裏切った男への脅迫状」)

NOでないことは、もうたしかです。でもまだYESになるには距離があります。私はYESへ手を届かせるために、どうしてもあなたの助力ややさしさや、それからたくさんのたくさんのご協力を必要としています。あなたがぜんぜんそっぽを向いて、助けてくださらなかったら、NOのほうへずり落ちても知りませんわよ。(p80)(「結婚申し込みの手紙」)

恋敵をやっつけるなら、あらゆる悪らつな手を使って、うまく完全犯罪をおやりなさい。相手を見くびってはいけませんよ。相手はほんの小僧っ子でも、あなたが永久に失った「若さ」を持っているのは向こう様なのですからね。そして恋愛にとって、最強で最後の武器は「若さ」だと昔から決まっています。ともすると、恋愛というものは「若さ」と「バカさ」をあわせもった年齢の特技で、「若さ」も「バカさ」も失った時に、恋愛の資格を失うのかもしれませんわ。(p87)(「恋敵を中傷する手紙」)

君の存在は、ちょうど、床屋へ行ったあと、刈った髪の毛が背中に入ってチクチクするように、いつも背中をチクチクさせます。(p101)(「旅先からの手紙」)

返事はなるたけすぐ出すように。(……)めんどうなら二、三行でいいのです。「今、台所でお芋が煮えるのを待つあいだ、いそいでこのお返事を書いています。あなたのお手紙はうれしくて何度も何度も読み返しました。私は台所の囚人です。そこであなたの手紙はよみかえすごとにソースの匂いがしみこんで、ますますおいしいご馳走になりました。あ、お芋が煮えた。ごめんなさい。私はガス台まで走り寄ります」(......)これがうまく書けたら、実にチャーミングな手紙になることうけあいです。(p114)(「英文の手紙を書くコツ」)

なぜ(注:見合いの結果、交際を)断られるか? それは彼女にやさしさと自信の平和な結合がないからです。女の真の魅力は、その二つのものの平和で自然な結合以外にはないのですからね。彼女の心のアンバランスを、男性は一目で見抜いてしまうのです。(p135)(「身の上相談の手紙」)

私としても、あなたのような悪女に死なれてはまったく迷惑しますから、どうか長生きしてくださいよ。私が今まで知り、愛してきた女は、どんなに悪女ぶっていても、心の底は善良そのものでした。それでいつも私はガッカリし、幻滅してきたのでした。(p139)(「病人へのお見舞い状」)

こんなバカなことってあるだろうか。あんなヒステリーの中ばあさんを(ごめんなさい)。あんなに長い間、ただ友だちとして付き合ってきて、意地悪な友情をあたため合って、一度もイヤらしい気なんか起こしたことのない仲だというのに。あの上流気どり、社交婦人気どりの、英会話ババアに(ごめんなさい)惚れているなんて。(p173)(「裏切られた女の激怒の手紙」)

氷ママ子女史より、最近お手紙をいただきましたが、その中に、「山トビ夫は何というイヤな男でしょう。思いだすだに虫酸が走る。あれに会う時があったら、私の代理で、唾を吐きつけておいてちょうだい」とありましたが、最近ちっともお会いする機会がないし、ママ子さんとの約束をあんまり遷延するのもまずいですから、僕の唾を染ました紙を同封しておきました。顔にでも塗っておいてください。(p192)(「すべてをあきらめた女の手紙」)

あのにくらしい山トビ夫も、きのうは神妙で、手をついてあやまったりして、私もよっぽどお人よしなのか、とうとうゆるしてやる気になりました。あなたがまた、「さあ、おふたりとも、根は立派なレディ・アンド・ジェントルマンなんだから、気持ちよく、すべてを水にして、手を洗ってください」なんてバカなことをいうのですもの。「手を握ってください」のまちがいでしょ。これでは万事おトイレになってしまうわ。あれで吹き出しちゃったから、緊張がとけてよかったわけよね。(p208)(「悪男悪女の仲なおりの手紙」)

あの二人が結婚してくれれば、末期資本主義的悪徳がお互いに中和して、まわりへおよぼす迷惑と危険もずっと少なくなります。そうなったら、僕も安心して、かれらと交際を復活できるというものです。やっぱり、顔のひろい彼らと知っていると、いろいろ仕事の上で得だからね。(p213)(「同上」)

以上の引用文から、ストーリーが大体お分かりになったかもしれないが、5人の登場人物が、たくさんの手紙のやり取りを重ねて行ってきた、長い恋の駆け引きを経て、最後は、落ち着くべきところに落ち着く。

そしてその後、小説の終わった後に、短い解説文が続き、この本が締めくくられる。

手紙を書くときには、相手はまったくこちらに関心がない、という前提で書きはじめなければいけません。これがいちばん大切なところです。(……)手紙の受取人が、受け取った手紙を重要視する理由は、一、大金 二、名誉 三、性欲、四、感情 以外には、一つもないと考えてよろしい。(……)第四は内容がひろい。感情というからには喜怒哀楽すべて入っている。ユーモアも入っている。打算でないもので、人の心を搏つものは、すべて四に入ります。(p217)

言葉でもって、言葉だけで他人の感情を動かそうというのには、なみなみならぬ情熱か、あるいは、なみなみならぬ文章技術がいるのです。その場合も、いくら情熱がありあまっていても、相手の側にあなたに対する関心がまったくない時に、相手かまわず、自分勝手に情熱を発散したって、うるさがられて、紙屑籠へ直行するだけです。(p219)

世の中の人間は、みんな自分勝手の目的へ向かって邁進しており、他人に関心をもつのはよほど例外的だ、とわかったときに、はじめてあなたの書く手紙にはいきいきとした力がそなわり、人の心をゆすぶる手紙が書けるようになるのです。(p221)

他人は自分には無関心だということを十分に理解したうえで、コミュニケーションせよ、ということか。なるほどな、と、腹落ちした。

ところで。最近は、めっきり、手紙を書かなくなった。手紙はメールに代わり、さらにここ数年は、もう、メールすら面倒で、LINEや、SNSのメッセージ機能などで、きわめて短いメッセージをサクっとやり取りするほうが多くなった。世の中のスピード感が、昭和の時代とはずいぶん変わってきている。

でも、この作品に見られるように、読み手の顔を想像しながら、読み手に理解してもらい、受け入れてもらえるように、言葉をひとつひとつ選び、表現を推敲しながら、手紙をしたためる…、という習慣が廃れていっているとしたら、とても寂しいなあと思う。そう言えば、私自身も、ずいぶん長い間、手紙を書いていない。久しぶりに誰かに手紙を書こうかなあ。

読みやすいし、とてもたくさんの、素敵な言葉や表現に出会える珠玉の一冊です。おススメします!


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サザヱ
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