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“全部自分のせい”で片付けてきたけれど、それじゃ前に進めなかった話

「私のせいだ。」
何かがうまくいかなかった時、私はいつもそう思っていました。

友人とのすれ違い、職場でのちょっとしたトラブル、相手の表情が少し曇っただけでも、「あ、私が悪かったんだ」と反射的に自分を責める。そうすることで場は収まり、誰かと衝突することもありません。

でも最近、ふと気づいてしまいました。
この「全部自分が悪い」で片付ける癖、実は「人のせいにする」のと同じくらい、思考を止める行動だったんじゃないか、と。。


「私が悪い」と思い込む理由🌀

振り返ってみると、そう考える方が楽だからでした。。

  • 深く考えなくても済むから。 自分に原因を押し付ければ、複雑な問題を掘り下げる必要はありません。

  • 相手と対立しなくて済むから。 自分が責任を取れば、それ以上の摩擦は生まれないと思っていました。

  • 「責任感のある人」に見えるから。 自分を責めることで、「ちゃんとした大人」として振る舞えるような気がしていたんです。

でもその代償は、心に残るモヤモヤ。「また自分を否定してしまった」という自己嫌悪。


「自責」だと思っていたことは、実は思考停止だった🤔

「全部自分のせい」と考えるのは、一見、責任感があるように見えますよね。でも、本当はそれが問題から目を背けるための“逃げ道”になっていたんです。

たとえば、友人と誤解が生じた時。
「私がもっと配慮すればよかった」で片付けるのは簡単。でもその原因には、相手のタイミングやお互いの状況も絡んでいるはず。それを無視して、自分一人で解決しようとしてしまう。

自分を責めるだけでは、本当の意味での解決にはならないんですよね。
それに気づいた時、私は自分が自分に対してどれほど乱暴だったのかを知りました。

「人のせいにする」のが問題なら、「全部自分のせい」にするのも、同じくらい偏った考え方です。


本当の自責とは? 🌱

本当の「自責」について考えるようになりました。
自責って、自分を責めることじゃなくて、次に繋げるために自分の行動を冷静に見つめ直すこと。

例えば、こんな問いかけがそれに当たるのかもしれません

  • 「今回、自分にできたことは何だっただろう?」

  • 「次はどうすれば同じ失敗を防げるかな?」

  • 「これは、自分だけじゃなく周囲の状況も影響しているかもしれない」

ただ自分を責めるだけではなく、少しずつでも先に繋がる行動を考える。それが、自分を守りながらも成長に繋がる「健全な自責」なのだと思います。


「自分を大切にする」がわからなかった 💭

私はとても悩みやすいタイプで、いろんな方に話を聞いてもらったことがあります。 “もっと自分を大事に”とアドバイスをもらっても、その意味が長年わかりませんでした。

それでも、たくさん休んだり、無理しないようにしたり、好きなものに触れたり、美味しいものを食べたり。 「甘やかしすぎかな」と思うくらい優しくしたつもりだった。でも、もらう言葉はいつも同じ。 “もっと自分を大事に”…

なんでだろう?

問題が起こると“100%配慮できなかった自分の問題”として、物事を処理してきた私。

「自責しないと」「苦しいけど大丈夫、これが自分のためになる」と信じ込んでいたんです。でも実際は、 “色々めんどくさいから自分のせいにすれば場が収まる”という“楽な方”を選んでいただけでした。
毎回、同じように自分を責めることで一時的な安心感を得ていたのです。

自分は傷つけてOK。自分の心に小さな傷を増やす。
自分を大事に扱えなくなり、「どうせ私なんて」と自分を否定する癖がついていました。頑張っても、「まだ足りない」と認めてあげられない。

これでは、わからないのも無理はありませんね。


気づいたこと、そしてこれから 🌟

この気づきは、私にとって大きな一歩になりそうです。
「全部自分が悪い」で片付けるのではなく、物事を冷静に見つめて、「次にどうする?」と自分に問いかける。そして、行動する。
よし、がんばれ。

時には、「これは私の問題じゃない」と感じる勇気を持ちながら、成長できる道を選んでいきたいと思います。


最後に ☕️

私は、こんなふうに考えたことで少し肩の力が抜けました。
理不尽だと思っていた出来事も、よくよく考えると「自分で自分に責任を押し付けていた」だけだったんです。

「犯人は私だったか」と拍子抜けしたような、不思議な気持ち。
心が少し軽くなりました。

この記事を読んでくださった方の中にも、「全部自分のせい」って思い込んでしまう癖がある方がいるのかもしれませんね。
同じですね。お互い、まじめすぎて困っちゃいますよね。


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