学校に来れない子は切り捨てられていく。
なぜ不登校の親子って家の中にいるんだろう?
いつも不思議に思う。
せっかく平日の空いてる時間に休んでいるのなら、お出かけしたり、旅行したり、山登りしたり、キャンプしたり、学校ではできない経験をすれば良いのになあ。
私たち夫婦は、もし息子が不登校になったら…あちこち家族でお出かけしまくろうね!と話している。
息子の年齢にもよるけど、休学?して自転車で日本縦断とかも楽しそうだよね、って。
学校なんて行かなきゃいけないわけじゃないし。
息子の学校の軍隊調の教育の現実を見てしまうと余計にね。。
相互監視密告制度のようになっているし。
これでは学ぶ楽しさなんて感じられるわけないよって思う。
そんな私たち夫婦なので、日本の教育には期待をしていないから…。
息子が中学2年くらいで、海外留学をさせようか?とも思っていたんです。
1年間くらいブランクが開いても日本の中学は大丈夫かな?と。
しかし…………
今、私はコロナに罹ってしまっていて、自宅療養中なんです。
家族も濃厚接触者で自宅待機していた。
PCRの結果が出るまで自宅待機していたので、1週間以上学校を休んでいた。
…が、一切学校や担任から連絡が来ない。
電話の一本、メールの一通も無い。
だから課題も出ないし、宿題もわからないし。
オンライン授業も無いし。
完全放置。
学校なんて所詮こんなものですよね。
期待なんて微塵もできないんだって改めてわかった。
小学生の頃はちょっとでも休んだら先生たちも熱心に連絡くださったけれど。
中学に入ると…学校に来ようが来まいがどうでも良いって雰囲気がヒシヒシと伝わってくる。
自己責任というか?
ある意味自由というか、個人の尊重というか。
落ちこぼれていく子はそのまま落ちこぼれていくし。
不登校の子はお好きにどうぞ。
って雰囲気。。。
なんだかすごく悲しい気持ちになる。
せめて体調を気遣う電話の一本もあれば…。
と、思ってしまうけれど。
体調を気遣ってくれるようなあたたかい?交流もなく。
冷たいです。
逆に?学校に適応ができている事に関してはわざわざ電話があるんです。
うちの息子を褒める電話というか?
こういうところが素晴らしいとか。
だからこそ余計に。
あ、脱落していく子は見捨てるのね。
って感じてしまった。
心のどこかでは、小学校の頃のイメージが抜けきってなかったのかもしれない。
小学校って家庭教育とか?言って不登校主義の家のお子さんにも熱心に登校を促してくれるじゃないですか??
だから、行くか行かないか選ぶ気持ちがあったのかも?
行かなくても先生は子どもたちを見捨てないし、我が子のことを考えてくれるんじゃないか?って。
でもそれは私の幻想なのかも?
中学にもなると、学校から脱落する子は「さよ〜なら〜」なんですね、たぶん。
そんな中で、学校から距離を取って、我流の教育方針を貫けるのか??
と、今回色々考えてしまいました。
親の覚悟が無いと、少数派の選択をするのは怖いですね。。
もう中学生くらいから、弱肉強食の社会の縮図を見ているようで。
とても辛い気持ちです。
好むと好まざるとに関わらず、大多数の乗る列車に乗らないと、茨道の道を歩くしかないのかも??
などとあれこれ考えてしまいます。
今のところ息子は学校に適応できていることだけが救いですが…。
もっと自由にのびのびと生きさせてあげたい。
難しいです。
一人ひとりが望んだように生きられる社会になってほしいし。学校は一人ひとりの個性を伸ばす場所であってほしい。
学校教育から溢れていく子たちを支えられる私になりたい。
そのためにも一層がんばらないと。