じえいなんてきりがない
こんにちは。
さて、生き抜くためにはある程度必要な「自衛」について思うことを(SNS中心に)まとめました。
差し当たっては「自衛だけで地雷を全てシャットアウトできない」とは何度も言っておきたいです。
「気に入らないアカウントはバンバンブロックして自衛して快適なタイムラインを作りたい!」
たまにタイムラインで見かけますが心意気は間違ってはいません。
というか自分の精神衛生を守るためにはある程度必要なことです。
ですが、キリがない。
自分にとって神経に障る対象(以下地雷)は自衛しても目の前に現れます。
地雷の内容にもよりますがしらみつぶしにミュート・ブロックしても終わりません。
(例えば現X。ミュートワードをいくら細かく設定したところで画像で投稿されては防ぎようがありません…)
あとそのような方を見ると「これ言ったらはいブロックーとかされるのかな…」と顔色を窺ってしまいなかなか自由に発信できません…。
そういう顔色窺いこそが自衛至上主義者が最も嫌悪するものなのかなという気もしますが。
「ネットでまで人間関係我慢したくない」
自衛至上主義な方はこのように口を揃えて言うんです。
ネットとリアルを明確に切り分けて考えています。
自分は「ネットもリアル」と長年考えているからなのか、「ネットも人間が書き込んでいるんだよ?いくら趣味でやっているSNSにも多少面倒な人間関係は出てくるでしょ?」と疑問に感じてしまいます。(AIが動かすことも増えていくでしょうけれど)
「地雷はバンバンブロックして快適に」という発想もですが、なんか、画面の向こうにいる人間を機械にしか捉えていないような違和感を覚えてしまうのです……。
SNS以外も少々。
苦手な音・声に対してイヤホンで対処していましたが、しきれないことも度々ありまして…最近耳栓をするという発想にようやく思い至りました。
後述する「ある程度自衛、ある程度我慢」もこの過程で明確になりました。
以下の記事では「集中耳栓」については買った段階で終わっていましたが、これがほどほどに声の聴こえ方を柔らかくするので重宝しております。
自分の声や動作音が響くので相対的にまわりの音がぼやけて感じます。でも近くにいる人の声ははっきり聞き取れる。
しかし苦手な声質だけはどうしても貫通してしまうのです。声質自体の問題か、自分の意識の問題か……。
結局のところ自衛はあくまでも「自分でできる最大限かつ最低限のことでしかない」ように思います。
ある程度の自衛、ある程度の我慢、ある程度の配慮
比率は人によるでしょうけれど、どれが0になっても心地よく過ごすことは難しいのではないでしょうか…?
最後までお読みいただきありがとうございました。