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【その3】最初の結婚

医療事務の専門学校を卒業して、外資系保険会社の健康保険組合の職員になった。
病院への就職を考えたが、実習であまりの向いてなさに絶望して止めた。

そこの健保の仕事は恐ろしいほど日本的で、アナログで、安月給だった。上司は保険会社から天下りしてきた人たちだった。
同期の子とは仲が良かったが、年下の先輩たちには嫌われていたし、わたしもバカにしていたから関係は最悪だった。仕事内容も、仕事環境も何にも楽しくなくて、なんで私はここにいるんだろうと工場勤務の時のデジャブかのように似たようなことを思っていた。

もう私の人生はこんなもんなんだなぁ、あの時大学に行かなかったからこんなことになったんだと本気で思っていた。何かにイライラしていたし、いい人いないかなぁと、毎日のように思っていた。

そんな時、幼馴染みのeちゃんの入院見舞いに行った時、病室であった彼女の大学時代からの友人だという至極感じにいい人に出会った。
彼女経由で連絡をもらい、ご飯を食べに行って、意気投合、すぐに付き合うことになった。
とても優しい男だった。人を疑うことをほとんどせず、育ちの良さが滲み出ていた。
私をいつも可愛いと言ってくれて、毎月「付き合った記念日」に花を贈ってくれた。
藤沢あたりの家からほぼ毎日、勤務地だった東京の市ヶ谷まで車で迎えに来てくれた。

彼に出会うために私はここまで生きてきたんだ!(2回目)ありがとう神さま!そう思った。

そしてトントン拍子に話は進み、付き合って1年ほどの26歳で結婚した。私はとっとと仕事を辞め、専業主婦になった。家賃6万円くらいの私の実家近くに住み、優しい彼との生活は楽しかった。
彼はほとんどのお給料を自分では使わず、私に渡した。わずかなお小遣いさえあまり使わず、毎月の記念日に私に花を買い、誕生日にはティファニーのダイヤのピアスをプレゼントしてくれるそんな男だった。

わたしはまるごと愛されている。なんの不満もなかった。そう思っていた。
自分の中にこびり着いている黒い澱のことには気づいていないから、たまに理由も分からずに無性にイライラする以外は、平和だった。

そして専業主婦にも三ヶ月ほどで飽きて、東京の会社に就職した。新聞広告で見つけたアウトソーシングを中心に事業をしている会社に入社した。私は霞ヶ関にある保険会社の常駐となり、全国の営業社員へ保険システムを教えるインストラクターとして勤務した。

人生で初めていわゆるエリートばかりに囲まれる環境だった。配属された部署で私は大歓迎され、仕事も任され、いわゆる自己肯定感爆あがりだった。上司には可愛がられ、これまでの自信のない自分が嘘のように消えた気がした。
もうここにいられるだけで人生大逆転だと本気で思っていた。

朝は夫と自分の弁当を作り、朝早くに家を出て2時間弱かけて出勤した。帰りも駅のスーパーに寄って、せっせと毎日夕食を作り、風呂を掃除し、部屋を掃除した。毎日の節約生活も楽しかった。泊まりがけの出張に行くことも増えた。なんの苦もなかった。なんだかひどく満たされている感じがした。

そして夫とは海外旅行に毎年行くようにもなり、これまでに出来なかった人生を謳歌している気分だった。出会う人たちも大きく変わり、エネルギー溢れる野心のある人たちに囲まれた。なんだか生きている感じがした。

次に続く。

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