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【その7】ループは続くよどこまでも?


結婚して2年目の秋、犬も一緒の伊豆旅行から帰ってきた夜だった。

隣に寝ていた彼に触れられた時に、ほとんど無意識にその腕を思いっきり振り払ってしまった。大声でやめて!!と言ったような気もする。
翌日、当たり前だが、彼は非常に機嫌が悪く、無言で会社に出勤して行った。そしてこれまでも何度となく送られてきた私への痛烈な非難と、いかに傷ついたかがびっしりと書かれたLINEが送られてきた。私はそれまでそういった非難めいた言葉を受けるたびに、心臓がばくばくし、ああ、またやってしまった…どうしよう…と焦りが先行し、神妙な顔で私が悪かったと謝ってきた。

そんな時こんな関係終わればいい、と思うほとんど同時に、また離婚するのか、生活はどうするのだ、周囲になんて言われるんだろう、我慢が足りない自分勝手な女というレッテルを貼られるんだろうか、また間違った道を選ぶことになるんだろうかと異様に怖くなり、ていのいい言葉で反省を示し、奥底にずっとあるあの馴染みのモヤモヤを押し殺し、言い訳を考え、深く考えずに弁明してきた。

小さな頃、親に「さゆりはごめんなさいと謝ればいいと思っている」と言われたことをどこか思い出しながら、反省した風の表情で問題を先送りにしてきていた。

けれどその時は違った。

瞬間「もう全部!やめよう」と急に強く、キッパリと思った。

これまでに繰り返しきたあのモヤモヤの先送りや、誰かに人生を預けること、これは学びだと大いなるものや宇宙へ責任転嫁すること、全てに意味を見出そうとすることも、全部もうやめようと思った。やめたいと思った。

私は腕を振り払ったことを謝らなかった。謝らなかったのは初めてだった。

もう結婚生活を終わりにしたい、最初から好きではなかった、勝手で申し訳ないとLINEで告げ、そこから五ヶ月間ほど家庭内別居のような生活をした。家の中ですれ違ってもお互いに無視、言葉を交わさず、目も合わさず、好き勝手暮らしていた。連絡事項は全て基本LINEで、そのほとんどは犬のことだった。

最初の頃は息が詰まる感覚がしてしんどかったが、解決しようとも思っていない、問題にさえしてない自分に気がついた途端、この異常な状態にも何も感じなくなっていた。このままこんな感じで暮らしていけるんじゃないかという意味不明な考えさえ浮かんだ。
家から一歩出ると、自動的にヨガ講師として、アーユルヴェーダ講師としてなんの苦労もなく明るく振る舞えていたから、周囲の人はほとんど気づいていなかったと思う。家に帰ると言葉をほぼ発さず、犬の散歩と食事を与えるためだけに存在しているような時間を過ごしていた。

とにかく終わりにしなくては、もう家を出なくてはと決めたはいいが、犬のために近くに部屋を借りようかと血迷ったり、犬が亡くなるまで我慢しようかと思ったり(当時3歳)、もう少しお金が貯まってからにしようかと迷いがでたり、もう一度話し合えば上手くいくかもしれないとフラフラしそうにもなった。
やめる理由はいくらでも湧いてくる。そのたびに、ここでやめたら私の人生が何も変わらない。ずっと自分に終わることのないイライラを感じ、人を変え、場所を変えても同じようなことを繰り返していくだけだ。事実、あの高校三年生の進路の時からずっと同じようなことを繰り返している。あぁ、泣けてくる。もううんざりだ。うんざりすぎて吐き気がする。進もう。進むしかない。そう奮い立たせていた。

2018年2月の寒い日だった。
彼が会社に行っている間にこっそりと逃げるように家を出た。最後の朝散歩の時にさえ、無性に申し訳なさが湧いてきてしまって大好きな犬の顔を見ることができなかった。辛くてあまりに辛くて感情に飲み込まれないように平静さを装った。犬は2階にいて鼻を鳴らすことも、吠えることもしなかった。ただ私がもう帰ってこないことはどこか分かっていたように思う。

あの日を最後に犬にも彼にも一度も会っていない。

次に続く。

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