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所詮、それくらいのこと
おはよう、さゆりです。
3月、怒涛のスケジュールを終え、久しぶりに山奥のアトリエに戻ってきたら、すっかり景色が青くなり、そこらじゅうでおじいちゃんおばあちゃんたちが草刈りをしていた。
この景色がいっちゃんすき。
ここに引っ越してきて3度目の春。
伝統を引き継ぎ、町会というもので成り立つこの集落に、私は何度でも景色の美しさを学ぶんだろうなと感じる。
自然がいっぱいだから綺麗なのではない。人が地道に受け継ぐ伝統があるから美しい自然が維持できて、動物、植物、人間がそれぞれの暮らしを守れているんだ。
みんなが自然的だと思っている景色にはたくさんの”人”の努力の背景にあることをみんなは知らない。
さて、今回話したいとおもってるのは、この怒涛だった3月が終わって考えたこと。
3月15日から10日間渋谷PARCOでの展示、その後間髪いれずに大阪に向かい、百貨店での1週間POPUP。そして東京に戻りすぐいつものPOPUP。
展示については5月にやろうとおもっていたものを、機会をいただき3月に開催したので、2ヶ月まきの準備期間。今年入ってからは本当に休みなく準備をしてきて、ラスト3日とかは本当に寝る時間削りまくて、POPUPスタートしてた。休まずと言っても、誘われた遊びはできるだけ断らない主義なので、友達に会ったりあそんだりもたくさんした。
”めまぐるしい”という言葉がいかにも似合うような期間。最高でした。
最高だったんだけど…体力おばけと言われる私も流石に疲れたので4月はお休み。体を休めながら過ごしています。
体力もそうだけど、頭の中がクリエイティブと、大切な瞬間でいっぱいすぎたこの期間を終えて今一番思っていることは、
自分が認識できて、覚えていられることなんて、本当に少しだけなんだなということ。
「そんなこと、忘れるわけないでしょ」って思うことも、気がついたら本当に忘れている。
「死ぬほど集中して、情報集めて、観察して、考えたぞ」って思っても、少し時間が経ってみてみたら、見えてないところだらけ。
自分ができることなんて、所詮それくらいなんだと気付かされます。
だから、今私が考えていることも、3ヶ月後のわたしはもう思い出せないかもしれない。
今日の私は、今日しかいない。だからもっともっと記録に残すことにも時間を使いたいと思えた、だから山積みのタスクを横目にブログなんか書いてる。SNSの更新をする。
少し前、みんながサラリーマンになる中、私は1人で事業の立ち上げをしていた。その時は、感覚もスキルもどんどんアップデートしないと前に進めない。みんなと同じことをしているのでは圧倒的に足りない。っていう時期で、時間もお金も少しでも惜しかった。
お正月もクリスマスもGWも真夏も真冬も、ぜんぶ関係なかったというかそんなこと言ってられなかった。
家族に呼ばれたり、デートに誘われたり、昔の仲間が集まってたり、
ぜんぶ「そんな場合じゃない」って思ってた。
でも、そうやって必死に過ごしはじめて、やっと自覚できるようになってきているんです。
そんな私と今でもつるんでくれていたり、つるんでくれるようになってくれた周りにいてくれる人がいるって本当にやばい(語彙力)
いくら会えていない時間が空いてしまっても、忙しそうにしてる私に構わず遊んでくれたり、応援してくれる大切なみんなに生かされているなと本当に思ってます。
私はよく「性善説」と言われますが、言われてみたらそうかもしれないけど、誰だって誰かに想ってもらったら嬉しいし、誰かのことを想うのは楽しいことだととおもう。
私のことを想ってくれるひとには、私も全力で想い返したい。
そしてその瞬間をできるだけ一個も忘れたくないから、日々まだまだもがきたいよね。
SNS疲れるときもあるよね私も最近はある。でも誰かが誰かを想っている瞬間が見れるってのはなかなかいいなとおもって、SNSつづけてやるかって私は考えてます。みんなはどう?
sayuri.