私の父に遅れること約20年。日本政府、遂にフロッピーディスクに勝利
今日最もインパクトが大きかったロイターの記事。
見出しは「Japan declares victory in effort to end government use of floppy disks/日本、政府のフロッピーディスク使用を終了させる目的達成の勝利宣言」というもの。
「日本政府がシステムの近代化を掲げて20年、ついにフロッピーディスクの使用が終わりを迎えた」
「6/28、遂に我々はフロッピーディスクとの戦いに勝利した!」と河野デジタル大臣がロイターに答える
こういった文章が並びため息が出る。
それでもデジタル大臣が強行しなければまだ10年くらいは放置されていたかもしれない。
貴重なデータなどあったとしたらちゃんとそれらがアーカイブとして保存されていますように🙏 (その辺、すごく懸念する)
(ヘッダーの写真はロイターの記事より)
https://www.reuters.com/world/asia-pacific/japan-declares-victory-effort-end-government-use-floppy-disks-2024-07-03/
ところで話は思い出話に変わるのだけど。
フロッピーディスクといえば、父を思い出す。
頑として富士通のワープロを使い続けていた父。
時代はワープロからパソコンへ・フロッピーディスクからCDへと変貌を遂げていたけど「新しいものアレルギー」というより「自分以外の人間が自分よりも知識を持つものアレルギー」だった父は誰かに使い方を習うとかこっそり本を買って勉強してみるという努力は一切プライドが許さないようだった。
当時は大学講師もしていて講義に使うものアレコレをひたすらワープロで打ち続け、アップデートされフロッピーディスクが使用できなくなった大学にフロッピーディスクを持っていくことが出来なくなり、母に無理やり押し付けて母は毎日フロッピーディスクからCDにデータを移す作業をさせられたそうだ。
帰国時に姉弟と相談して「人からもらったら仕方なく使うのではないか」と私たちからラップトップをプレゼントした。同じメーカーなら親近感あるのではと気を遣い、超初心者用のラップトップの使い方の本も付けた。
父、一度も触らず。
その後も数年ワープロ使い続けて、遂に市内の店舗で修理のパーツも手に入らなくなり本社にパーツが残ってないか何度も電話して最後のパーツを使ってしまったあと父のワープロライフは強制終了となった。
そして新たな皺寄せが母に向かうこととなり、口頭で伝えられたものを母がタイプしCDに落とすという苦難の日々が始まった。
帰国時の「ワープロもラップトップもキーは同じやん」との私の執拗な提言に遂に屈して文章だけは自分で打ち母が恭しくCDを入れセーブするというルーティンになった。
本当に面倒臭い人であった。
唯一の良かったことといえば母のテック度がはるかに高くなったことだった。必要に迫られてとはいえ、ラップトップを使いこなし、青色申告もパパっと自分で出来るようになり、父が触らなかった分は母が十分に使いこなしていた。
あの頃でかなり昔の話ですよ。
上の記事を読んで、あの父が諦めてからもフロッピーディスクが今まで残っていたとは本当にアップデートに関して怠慢すぎるにも程があると呆れを通り越してなんだか悲しくなった。