大阪 16世紀をめぐる旅 細川ガラシャ編
大阪にある細川ガラシャゆかりの地へ。
南蛮文化館
5月と11月のみ開館。南蛮美術やキリシタン遺品など展示されています。
中は撮影禁止ですが、入口だけ撮影できます。細川家の九曜紋が入ったこの鐘は、1616年の津山城築城のとき細川忠興(ガラシャの夫)が森忠政に贈ったものだそうです。ちなみに、忠興がガラシャ追悼のために作らせた鐘は永青文庫(東京)にあります。
展示物がたくさんあって楽しいです。ガラシャの遺品といわれる明智家の家紋・桔梗が入った十字架もあります。本当にガラシャの物だったらロマンあります。オルガンティーノ神父はガラシャが亡くなった後、燃えた邸跡から彼女らしき遺骨を拾い、堺のキリシタン墓地に葬ったとのことですが、もしこの十字架が本当にガラシャのものであるならばその時に発見されたのでしょうか?それか死ぬ前に侍女に渡したとか?謎ではありますね。こちらで写真が見れます。
2階の南蛮屏風などもすごく見応えあって楽しめました。
玉造教会
ガラシャが自害した屋敷のすぐそばに建っている教会。美術館のような美しい建物ですね。夫に監禁状態にされ、どんなに行きたくても教会に行けなかった(生涯、一度だけ行けた)ガラシャの邸跡に約400年の時を経て教会がたっているというのは不思議な感じがします。当時の大坂の南蛮寺は、北大江公園あたりにあったようです。ここから2kmくらいなので、籠で行けば30分くらいの距離でしょうか。
越中井
教会横には越中公園。この辺りは武家屋敷が並んでいたそう。公園を通り過ぎれば越中井と言われる細川家の井戸があります。
フロイスの日本史によると、細川家は部屋の中も自由に移動できないほど厳しく取り締まられていたので、ガラシャ本人がこの井戸へ水汲みに行くようなことがあったかはちょっとわかりません。この横に「細川越中守忠興邸宅跡」の石碑があるのになぜか私は写真撮らなかったようです。ガラシャ終焉の地。
大坂城
大坂城までは歩いてすぐでした。夫の出陣中にガラシャは大坂城にいる秀吉に呼ばれます。小刀をもっていたガラシャは、秀吉の前でわざと落としたといいます。ガラシャの意図に気づいた秀吉は彼女を家に返しました。(この話どこで読んだか忘れました。史実なのかも不明)
秀吉時代の大坂城は地下にあるので、ガラシャが見た大坂城とは違いますが・・。ただ掘の位置、門の位置などは当時とそう変わらないそうです。