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コーヒーのわたしから紅茶のわたしたちへ
朝起きると夫がキッチンに立ち、コーヒーをいれている。
その香りにつられ目が覚めて、寝ぼけ眼で駆け寄る。
なんちゃって。ウソである。ただの空想だ。
CMや映画で見たようなそんな風景に昔は憧れていた。
しかし、理想と現実は程遠い。
私たち夫婦は(特に私)眠ることが好きだ。かっこ悪く言うと、朝がとても弱い。
毎朝私より15分も早く起きる夫に心の中で賛辞をおくりながら、「あと5分」と布団の中に縮こまる。最近はめっきり気温が低くなってきたので、朝弱族には耐えがたい。
よし、覚悟を決めよう。体を起こしベッドから這い出る。
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足裏に当たる冷たいフローリングに魂を削られる思いで、必死にスリッパを探す。
洗面台で申し分程度に顔を洗ったら、向かう場所はキッチンだ。
「朝は簡単に」が私たちのモットーのため(少しでも寝ていたいだけ)パンやお茶漬け、前日に漬け込んだフレンチトーストに半目のままかぶりつく。
私たちの朝ごはんに「コーヒー」の姿はない。
***
オフィスで提供される無料のコーヒーを飲みながら、夫のことを考える。
私の夫はコーヒーを飲まない。正確に言うと、飲むことができないのだ。
社会人1年目、資格試験のためコーヒーを何杯も摂取していた彼は、ある日激しいめまいと立ちくらみに襲われた。
ふらつく足取りで病院へいったところ、医師からカフェイン中毒と診断され、コーヒーの摂取を控えるよう告げられる。
それ以来、彼はコーヒーではなく紅茶を飲むようになった。
もちろん紅茶にもカフェインは含まれているが、抽出方法や茶葉でだいぶ差があるらしい。ミルクティーにしたり、ストレートのままだったり。あくまで彼には、紅茶は大丈夫なようだ。
恋人同士になって間もないころ、カフェで私はコーヒー、彼は紅茶を頼んだ。コーヒーの香ばしい香りに誘われて「一口だけちょうだい」と彼は私のカップを手に取る。「ちょっとだけなら大丈夫だよね」と啜るものの、あとから「やっぱりダメかも。気持ち悪くなってきた」と苦笑いしていた。
その顔はどこか寂しく、愛しさを感じさせるものだった。
***
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「眠気から頭を目覚めさせる」「香りだけで素晴らしい」「大人の飲み物」
コーヒーに関する安直な連想が頭を巡る。こんなに美味しいものを彼と一緒に楽しめたらどれくらい嬉しいだろう?
そんな想像をしながら、一人でマグカップを啜る。
独身時代の私にとって、コーヒーは眠い朝や起きていたい夜の友だった。
***
そして現在。
2ヶ月前に入籍を済ませ、私たちは互いの人生のパートナーとなった。ほぼ毎日同じものを一緒に食べて、同じ布団で眠りにつく。
多くの同棲カップルや夫婦と同じように、私たちなりの習慣もできた。
朝のコーヒーならぬ、夕食後の紅茶だ。
同じ釜の飯を食うのなら、ついでに同じポットの飲み物を飲みたい。彼と生活していくうちに、ふとそんな風に思った。
彼がコーヒーを飲めないのなら、私が紅茶を飲めば良い。
あんなにコーヒーが好きだったのに、人間は不思議だ。一緒にいればいるほど、相手と様々な気持ちを共有したくなる。
わたしの場合のそれは、お茶をいれて「美味しいね」と語らうホッとする瞬間であった。
ガラスのポットにティーパックを2つ入れ、ケトルがお湯を沸かすのを待つ。
フォッフォッフォッとサンタの声のような音が聞こえれば、それが沸騰の合図だ。
ポットにお湯を注ぎ、十分に蒸らしたら、オレンジとブルーのマグカップに、紅茶をゆっくりと注いでいく。
お湯が静かに流れ込むその様は、規則正しく正確だ。
まるで世界に存在する数少ない真実のように。
嬉しそうに紅茶をすする夫をみて、ふたりで楽しめることができたことに気づく。
真夜中にコーヒーを啜った一人暮らしの日々が、随分と昔のように思えた。
ああ、わたしは本当に結婚したのだな。
ひとりで楽しむコーヒーよりも、ふたりで楽しめる紅茶を選ぶこと。
大切な人がいるということは、そういう選択を嬉しく行えることなのかもしれない。
私たちの生活に「コーヒー」はない。
だが、ふたりで飲む「紅茶」は存在する。
コーヒーのわたしから、紅茶のわたしたちへ。
***
コーヒーは今でも職場やカフェでは飲みますが、旦那さんとは同じものを同じ時間に共有したいな、と思ってしまいます。これが「結婚すること」の魔力なのでしょうか...?とても小さなことですが、自分の中の心境の変化を書き記しておいた次第です。
#エッセイ #日記 #note創作大賞2023 #エッセイ部門
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