鳩のおかげで自由の女神になれました。 アメリカ/NY展示 最終日
最終日の朝
隣に泊まっていたトルコ人(忘れた)がくれたサーモンをルームメイトが焼いてくれた
美味しかった。
じゃあまた、他の国で〜!と作家達に挨拶をして家を出た。(前回フランスも一緒だった)
順調に電車に揺られ空港へ向かうシャトルバス乗り場まで来たところで事件は起きた。
" シャトルバスが運休 "
え???うううう運休??わら
急に緊張感が走る。
予告なしの交通機関の運休/路線変更にはもう慣れた頃だったのに最後に気を抜いていた...
臨時バスに向かうがもちろん大混みの大パニック。
みんな急いでいますから、、
飛行機に乗り遅れるのは電車のそれとは訳が違いますから、、
何とか空港に着き荷物を預けにカウンターへ向かうと
『あー繋がらないわ!(パソコンが)
もう便はないから乗れないよ?(便あるのに)
無理無理!2日後ね!バイバイ!』
と言われ私の頭は ??????? でいっぱいになり次第に怒りへと変わった。
確かに交通機関は遅延と運休してはいたが
おそらく私は時間に遅れていない。(おそらく)
『 理由も言わずに!こっちも無理!!
2日も遅れられない!仕事あるから!帰るから!』
って私はめちゃくちゃブチギレたのち、
『日本語話せる人いないの?!』 と
米国に乗り込んでおいで無茶苦茶を言った。
さすがわがまま女である。
(これを世間ではクレーマーと呼ぶ)
隣のJALに取り合ってもらった。
帰れない可能性なんて想定していなかったから
どうやって2日間過ごすんだよってなってたから
この時点で私は半泣きであった。。
アメリカン航空のお姉さんが私のどこが悪いの?みたいな小馬鹿にした感じでJALの人に話、
私が後ろで怒り狂い、JALが宥める構図が数十分あった。
するとJALが、
『実は..鳩がエンジンに巻き込まれまして数日空港に停滞していた旅客機があります。ガラ空きです。
そこに乗れるように手配します。』
ええええ。ラッキーすぎるやん...
帰れるやん...
帰れる安堵で視野が広くなり周りを見渡したら私と同じように帰れなくなった日本人で溢れかえっていた。おそらくみんな "2日後ね!"と言われ助けを求めにJALに来たのだろう、、
隣の女性と仲良くなって連絡先を交換した😭戦友
アメリカテキトウ..
アメリカ主張シナイト死ヌ...
日本テイネイ..サービススゴイ...
そして、この怒りをそのままにせずに学びに変えようと何故か思っている自分がいた。えらすぎ
私的学んだ事は、
・自分の主張をしてよかった
・やはり人に合わせなくていい
・人にキレれる自分になれてよかった
半年前までキレれなかった。
たまたま同じ便だった作家仲間は2日間なにしよ〜と切り替えていたが、
私は断固帰る!!!!怒怒 と言う意思を貫いた。
それが勝利したのだ。
書きながら思ったのだが、
帰るという名の自由を得たってそれ、、
私自由の女神やん。。
しょうもない伏線回収したところで再度振り返る。
鳩の死の上に成り立った今回、何かを失い何かを得れた。
予定していた便には乗れなかったけど隣の女性と仲良くなった。
絶望した時人は漫画のように両手で頭を抱えるんやと思いながら絶望してた。
主張する大切さを覚えた。
最後の最後にアメリカを嫌いになったのに、
アメリカに今回の旅のまとめをしてもらった気分になった。
悔しい。。
無事離陸する時にはそんなアメリカが更に好きになっていた。
必ず画家としてパワーアップして戻ってくる。
そう決めた