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コンプレックスがくれたギフト
私はコンプレックスのかたまりだった。
挙げたらキリがないほど、自分の容姿がイヤでイヤでたまらなかった。
なかでもいちばん悩んだのは、胸。
中学生頃から胸が大きくてイヤだった。走ったら揺れるし、痛いし、大好きなバスケがやりづらい。なにより胸を指摘されることが恥ずかしくて、隠すようなしぐさや姿勢で女性らしく変化する体型を受けいれたくなかった。
かわいいブラジャーは見つからないし(だいたいベージュのババくさいやつ)、しかもピチTっていうピッタリTシャツが流行ったりしたもんだから、青春時代のオシャレは苦行でしかなかった。
高校生になった頃だろうか。
テレビで巨乳という言葉が流行った。グラマーな胸のタレントさんがもてはやされ、テレビに出ている女性たちは色っぽく堂々として見えた。
私は相変わらず胸がコンプレックスだったけれど、大きい胸になりたい人や、それが好みの人がいることも知った。大人になるにつれ、からかわれることも少なくなり、そのうちあまり気にならなくなった。
やがて結婚し子どもがうまれると、私の胸はお乳を与えるための役目を果たすようになった。乳腺炎で痛かったり、切れたり、しぼんだり、よう働いてくれた。すっかり、胸の大きさなんて気にしなくなった頃。
育休中、子育て母のための講座を受けに行った。講師の方と、乳飲み子を抱えた私を含め数名が参加していた。受講生同士で自己紹介をしていて、ハッとした。
・・・え、まさか・・・!?
時間が経つにつれ、やはりそうだと確信した。
目の前で、子育ての悩みを語っている女性は、かつてテレビで見たことのあるグラマーなタレントさんだった。私たちと同じように、いち母親としてひっそりと参加してらしたのだ。
この講座に足を運ぶのも、悩みを打ち明けるのも相当な勇気がいったんじゃないだろうか。そこに集った母たちそれぞれが話し、泣き、笑い、よき時間が流れていった。謙虚でひたむきな人柄の彼女に、テレビの姿よりも親近感が湧いた。
連続講座の最終日。お互いにメッセージを伝え合うワークで、私は彼女とペアになった。そこで胸のことを伝えた。
「ずっと胸がコンプレックスでイヤでたまらなくて自分を好きになれなかった。でも、テレビに出ているあなたが堂々としてかっこよくて、私は勇気をもらった。嘆くんじゃなくて磨こうと思った。あなたは恩人です。ありがとう」
そんなことを、息子に授乳しながら、まさに胸をぽろりんしながら彼女に話したのだ。なんというタイミング。でも、いち母親として以前に、私としてどうしても伝えたかった。
私の言葉を聞いて、彼女はほろほろと涙を流しながら、
「うれしいです。そんな風に思ってくださる方がいて。ありがとう」
と言ってくださった。私も泣いていた。
一見、華やかに見える内側で。
私たちはそれぞれプライベートな自分がいて、大切な人や家族がいる。誰もが言えない、癒えない想いを抱えているんじゃないだろうか。
彼女だって、はじめから堂々としていたわけではないかもしれない。人知れず、傷つき、苦労してきたんじゃないかな。きっと。
それでも、自分をまるごと「これが私」って表現する彼女の姿は、あの頃の私には眩しかった。
それは容姿がどうだの、人からの視線だの、流行だの、他者評価なんかじゃない。
自分自身の尊厳にかかわること。
「うまれてきた私を私が愛そう」って。
私のからだは、意思は、私だけのものだから。
コンプレックスだと思い込んでいた、この胸がつないでくれたギフト。
あの日、帽子を目深にかぶり、サングラスとマスクをつけて足早にタクシーに乗り込んでいった彼女。
私のコンプレックスを愛しさに変えてくれてありがとう。
今や、からだのあちこちがますます気になるお年頃だけど(笑)
それもまた愛おしいよね。
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大好きな女神像
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バリ島在住の望月さゆりです。
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