わたしのこと 1
こんにちは。望月さゆりです。
今までとこれからを見つめるために
私をもっと深く知ってもらうために
ライフストーリーを綴っています。
ざっくりとした足跡はこちらに。
1 原点
輪ゴムを指にはめて、バーンって撃つ。
きゃっきゃっと大はしゃぎで、父を狙う。
父が笑ってふざけていて、
私も妹も無邪気にケタケタ笑っている。
それが父の姿を思い出せる、唯一のシーン。
私は宮崎の港町でうまれました。
父、母、私、2つ下の妹、4人家族。
父は船で料理人として世界中を航海していました。
だから、会えるのは年に2回ほど。
せまい団地の部屋には、世界各国から集まった色とりどりの絵葉書や珍しいお土産が並んでいて、子ども心に胸をときめかせていたのを覚えています。
私が小1の秋、父は1週間ほど家に帰ってきて休暇を過ごしました。そして、また航海へ出るため、最寄りの駅まで見送りに行くという日。
私は「見送りに行かない」とごねて、説得する家族をよそに一人で家にとどまることに。
それが父との最期でした。
一人で家にいた私のもとに、ばあちゃんが血相を変えてやって来て、「お父さんが大変なことになった」と。
父は乗るはずだった電車に乗り遅れ、
事故に遭い、数日後に病院で息を引きとりました。
「まだ間に合うから、起こそう!ほら!ほら!」
そう声をあげながら身体を揺する母。
横たわったままの父。
薄暗い廊下のベンチ、紙パックのジュース。
ぼんやり覚えているのはそれくらい。
私はどうしていたのだろう。
それからしばらく経って、わが家に外国からの宅急便が届きました。にっこりした女の子の人形がついた、可愛らしいポシェット。
送り主は、父。
天国にいる父が送ってくれたんだと、みんなびっくりしました。
妹の誕生日でした。
お人形のおなかを押すとメロディが流れて、その音色を聴くたびに、私の中にどこまでもどこまでも言葉にならない想いが沈んでいく。
もう父はいないんだとわかった。
父がやさしかったこともわかった。
死、というものが、6歳だった私にとって、
どれくらい実感を伴っていたかはわからない。
私があのときワガママを言わなければ・・・
私がすぐに見送りに向かっていれば・・・
私はここに居てもいいの?
ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる・・・
ずっと自分の中で渦巻いていた気がします。
「許されないことをしてしまった」
という意識だけは、はっきりと私の心の奥底に
重く、深く、沈んでいったのでした。
**
以前は、この出来事を断片的にも思い出すと
胸がギュッと苦しくなっていました。うまく息ができず、嗚咽がとまらなくなることも。だから、ずっと墓場まで持っていくつもりでした。
数えきれないほどの、こわい、と、大丈夫、を経て
(このプロセスは、後々書きます)
今はおだやかに眺められるようになりました。
父のことは、私の大切な原点。
ライフストーリー2へと続きます。
note、はじめたばかりです。
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望月さゆり