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わたしのこと 8

こんにちは。望月さゆりです。

今までとこれからを見つめるために
私をもっと深く知ってもらうために

ライフストーリーを綴っています。

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8 ジャカルタ 

大阪で教師になってからというもの、長期休みはバックパックを担いでアジアを旅するのが楽しみになった。名所観光だけでなく、市場でのやりとりや地元の人たちの生活を垣間見るのが好きだった。

そのうち「海外で働いてみたい」という想いが強くなっていった。教員は日本人学校で働ける機会があることを知り、運良くチャンスを掴むことができた私は、たまたまインドネシアのジャカルタへ赴任することに。胸が高鳴った。

勤務は3年間と決まっていたので、これまでのしがらみを捨てて全力でやりきろうと誓った。
「誰も今までの私を知らない」という(笑)
衣を脱ぎ捨て身軽になったような清々しさとともに。

学校から眺めた夕日


インドネシアはチャンプルー(ごちゃ混ぜ)だ。約17,000もの島々に250もの民族が住んでいる。言葉も文化も宗教も食べ物も、考え方や気性だって多様だ。

日本人学校は、日本の公立学校同様のカリキュラムだけれど、現地のジャカルタらしい特色ある取り組みも多い。自然豊かな環境で、子どもたちと過ごす毎日は新鮮だった。なにより、細かいことは気にせず、おおらかで陽気なインドネシアの人や風土が私には居心地よかった。

日本人学校には、インドネシアで生まれ育った子も多い。日本ではほとんど感じることのない宗教や生活様式のちがいを目の当たりにした。

なかでも「言語」というものは、自分を表現する大切なツールであり、本人のアイデンティティに関わることでもあると現場の中で痛感した。自分の想いを余すことなく伝えられる言語を何か一つは身につけること。同時に海外で日本語を習得するということへの難しさと、だからこそのやりがいも味わった。

6年生の担任だった頃


また、ジャカルタ内のとある村を訪ねたことがある。そこに暮らす人々は、ゴミ山のそばで鉄屑などを集めて僅かな賃金を得る、危険で過酷な仕事をしている。その中にある学び舎で、先生のギターに合わせアンクロン(竹の民族楽器)の演奏を楽しんでいる子どもたちと交流を続けた。

そして、街を車で移動していると裸足で子どもたちが物乞いをする姿を目にする。

本当に必要な子にほど、教育と環境が行き届いていない現状を垣間見た。

たとえその土地に住んでいても、自分から動かないと見えてこないものがある。世界中どこにいても言えることなんじゃないか。

日本人学校に勤務しながら「私には何ができるんだろう」と自問自答する日々でもあった。


ライフストーリー9へと続きます。


望月さゆりです。

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