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わたしのこと 12

今までとこれからを見つめるために
私をもっと深く知ってもらうために

ライフストーリーを綴っています。

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12  タブーの壁


育児と仕事との両立に四苦八苦していた頃。
担任しているクラスで「性教育」を軸にした授業を行おうとした。

いのちのはじまりや心身の成長について正しく知ること。そして、自分も、相手も、お互いを大切にした関係性をどう育んでいくか?それは幼い頃から少しずつ積み重ねて身につけていくものだと思う。

そんな私の想いとともに授業計画を学年に伝え、学校長に申し出るも、許可がおりない。

国が定める学習指導要領には「人の受精に至る経過・妊娠の経過は取り扱わないものとする」という『はどめ規定』があるためだ。

しかし、学習指導要領はあくまで最低基準。学校全体で必要と判断したならば、教えてもいいとされている。

とはいうものの、学校で「性教育」を扱うことは強い批判やバッシングの対象になった歴史があるため、教育現場では学校長も先生方もタブー視するのだ。


私は何度も相談して、あらかじめ授業を見てもらい、内容を考慮してようやく実施できることに。実際、自分のクラスや学年で授業すると、子どもたちも先生方にも好評で、2年目には他の学年や参観日に保護者の方々の前で授業を行うことができた。

「大切なこと」として受けとってもらえた感触は素直に嬉しかったし、やっぱり子どもにも大人にも必要なことであると再確認した。

だけど、本当に言いたいことを言えないもどかしさや、教員という公務員である以上は学校という組織に合わせなくてはならない葛藤、それが本当に子どもたちのためになるのかという疑問がぐるぐる渦巻いて消えなかった。

休日は公園に行くのが家族の楽しみ。1〜2歳の娘の歩調で過ごすといろんなことが新鮮だった。


教育現場に根強く残るタブーの壁。


いやいや、なんで卵子と精子の学習はあるのに
性交をすっ飛ばして、受精卵の学習なのよ?
「どうやって?」が知りたいことだよね。

自分も、相手も、お互いに尊重しながら
対等な関係性を育んでいくことの大切さ。

そこを伝えないから、タブーになるんだよ。

親も学校も誰も教えてくれないなら、
子どもたちは自分で情報を得るしかない。

街中やメディア・ネットにはいくらでも消費的で暴力的な性の情報が溢れているという矛盾。ニセモノを信じ込んだりトラウマになったり、正しい情報を知らずに予期せぬ妊娠を招いたり、深く傷つくことや人生を左右することだってある。私たち大人は無責任すぎやしないか?

「本当のことを知りたい」
それは、ごく自然なこと。
だって、自分自身のいのちのことだもの。

タブーにされて、たまるか。



やがて、私は第二子を妊娠し産休に入ることに。職場では、私の知る・知らないところでたくさん支えてもらったし、妊娠中に肩身の狭い思いをしたこともなく有り難かった。また母として教員をやる中で、今まで以上に親御さんの気持ちがわかるようになったのは大きかった。

教員として少しでも何かできたのかもしれないという想いと、ちっとも何もできやしなかったという悔しさとのはざまで、正直なところは綱渡りの日々からようやくひと息つけることに安堵していた。


ライフストーリー13へ続きます。

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