わたしのこと 3
こんにちは。望月さゆりです。
今までとこれからを見つめるために
私をもっと深く知ってもらうために
ライフストーリーを綴っています。
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3 女であること
私は小さな港町でうまれた。
母方は漁師の家系で、たいそう可愛がってもらい、幼い頃からよく船に乗せられ海に出ていたという。
一方で父方は、長男である父の後継ぎとして男の子を期待していたのに、生まれたのは私と妹。女の子である私たちは歓迎されなかったという。
父が亡くなった後、父方の祖父母に母が責め立てられ、私はしきりに母をかばうようなことを言って母にたしなめられたのをぼんやり覚えている。父方の記憶はそれだけ。
小3になった私は少しずつ自分を出せるようになった。
参観日に壁新聞を発表したときのこと。張りきって、おもしろおかしくおどけて伝えたら、友だちも先生も大笑い。私は意気揚々としていた。
きっと母も笑ってると思ったら、表情が曇っている。周りの親たちが、私を見て
「誰だ? あの女の子は。女の子なのに、はしたない」
そう口々に言っていて、母は恥ずかしかったのだろう。私は、顔がかーっとなるのがわかった。
(どうして?みんな笑ってたのに…私と同じようにふざけてる男の子もいたのに。女の子はダメなの?)
周りの大人に咎められている気がしたし、
母の顔に泥を塗ったんだと心苦しかった。
私が好きなように振る舞うと母を困らせてしまう。それ以来、人前に出るときには「母が喜ぶこと」を無意識に選んでいた気がする。
とはいえ、運動会の応援団長をやったり
男子に混じってキックベースをやったり
冬も半袖で登校したり(風邪ひいてやめた笑)
男子を泣かすくらい負けん気も強かった。
「女の子なのに」という枠で押さえ込まれたり
こうあるべきと決めつけられたりすることに
「なにくそ!」という反発心もあったんだろう。
私には、大人になる=「女になる我慢」に見えた。
男の子は望まれる、女の子は祝福されない。
それを責められるのは、女である母親だけ。
親戚で集まると「家事は女だけが働くもの」とされ、好きなように振る舞うと「女なのに」と避難される。
おかしい。おかしいよ。どうして??
その問いには「だって女だから」としか返ってこず、悔しさやもどかしさや怒りのようなものを抱えながら、思春期を迎えた気がする。
ライフストーリー4へと続きます。
当時を回想していると、いわゆる「女・男らしさ」への圧や、それに立ち向かうことへの風当たりは、ずいぶん強かったのだなと思う。
わが家にかぎらず、誰を責めるわけでもなく、代々受け継がれてきた価値観は、その土地や世代によっても色濃く影響を受けているんだろう。
note、はじめたばかりです。
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望月さゆり