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母のエピソード②~モーニングおまわりさん〜

投稿がご無沙汰になってしまいました!
テキストってPCでないと書けないんですね…(???デジタル音痴)

私の投稿は決して涙を誘うようなエピソードを書きたいわけではなく、”精神病の家族と生活するとこんな感じだよ!”というのをただアピールしたい(愚痴を言いたい)だけのマガジンですのでご了承ください。

◇◇◇

実家は戸建ての住宅なのですが、家の裏口にはドアがあり、ワイヤー入りのガラス窓がついています。いわゆる"おかって"というやつです。

母は発症時に妄想で近隣の人たちを敵視して、攻撃的な性格になるのですが、ある日裏口から近隣にある会社(事務所?)の人達が入ってくる(たいてい襲ってくると思っている)と妄想したため、ダイニングテーブルと椅子を裏口のドアに立てかけ、人が外から入ってこれないようにしていました。(普段重い物を「持てない~」とか言うくせに、お発症時は馬鹿力を発揮する)

ある時裏口に立てかけていた椅子が倒れたのかなんなのか、小さい窓にヒビが入ってしまいました。
そのまま取り替えることもなく、父がガムテープでとりあえずの補強をしたのですが、母は自分で椅子などを立てかけて窓が割れたことを普段発症していない時は覚えていても、次に発症した時になぜか忘れてしまいます。(妄想の世界が勝ってしまう)

その後、発症のたびに母は裏口の窓が元々割れているにもかかわらず、"誰かが割って入ってきた!"と妄想し、泥棒が入ったと町内の交番に電話をかけ始めました。

母は1日に何回も、また連日で電話をかけるため、はじめのうちは交番のお巡りさんも一大事だと思ってかけつけてくれていたのですが、父や私が母の病状や状況を説明すると、”いつものあの人ね”と言わんばかりの顔で訪問するようになりました。(本人を安心させるためにわざわざ毎回訪問してくれているので感謝しています。)

ここからは私の話ですが、当時私が中学生だった頃、お世話になっていたお巡りさんに「こういう経験は誰でもすることじゃないから、大変だけど、あなたにしかできない経験だから」と言われたのがすごく心に残っていて、たぶん”不憫だな”と思われていたのかもしれないけど、その時初めて 普通の人とは違う家庭。というのを強く意識した気がします。

中学生の頃はなんだか色々な理由でグレている?同級生が多かったこともあり、(ちょっと荒れた学校だったかも?)普通に幸せに、すごく順風満帆に暮らせているはずなのに、"母が病気だから私もちょっとグレてもいいよね"と夜遊びする友達と一緒に遊ぶための理由にしていました。全く可哀想でもなんでもないのに、”私も可哀想な子なんだよ”と小出しにアピールしていました。

この頃から母とは頻繁にぶつかりあうようになりました。
それまでは全く母の病気について気に病んだことはなかったですが(そもそも何もわかっていなかったのですが)お巡りさんに言われた一言により、母の病気について認識するきっかけになりました。ある意味母の病気を理由に承認欲求を満たしていた部分もあったんじゃないかなと思います。

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取り急ぎ今回はここまで(^^)
私の心境の変化もつらつら書いていきますので、よろしくお願いします。

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