自己イメージを超える自分
「自己イメージを超える自分に出会ってみたかったから」
これが私がPOOLOに入った理由。
自分という存在は、わたしのイメージしたことを体現できる存在だと思う。
逆にイメージができないことは、形にすることができない。
例えば、「自転車に乗ること」
子どものころに、自転車に乗れるようになりたいと思ったことがある人は多いと思う。わたしもその1人だった。まわりで自転車を乗りこなしている人がいて、自分もまわりと同じように自転車に乗っている姿をイメージすることが出来てはじめて、自転車に乗りたいと思える。まわりで自転車に乗っている人がいなければ、そもそも自転車に乗ることのイメージすらできない。このように小さい頃はまわりは出来て、自分が出来ていないことについて、自分も出来ている姿を想像し、体現することで、自己イメージを広げてきた。
でも、大人になって、自己イメージを拡大することが難しくなった。最低限生きていくための術は身に着けているから、その部分でのストレッチ幅はない。自分の出来ていないことを実現している人を見かけても、そもそものバックグラウンドが違うとか、時間がないとか言い訳ばかりしてしまう。かといって、既にある自分の一部分を向上させたいと思っても、自分1人だとイメージ出来る自分も限定的になってしまう。
自己イメージの幅を広げるには、自分以外の存在との対話が必要なのではないか。自分以外の存在と聞いて、ぱっと思いつくのは家族や友人、同僚などの身近な人だと思う。でも家族や友人だとこれまでの自分、会社の人だと仕事で求められている自分をベースに話が進んでしまうことが往々にしてある。ありのままの自分で対話できる場はどこにあるのだろうか・・・
ぼんやりとそんなことを思っていたころ、POOLOのことを知り合いを通じて知った。普段だったらなかなか近くで話しを聞くことのできない講師の方、多様なバックグラウンドを持つ仲間、ここはありのままの自分で対話できる場だと直感的に感じた。そして、それは自分のイメージを超える自分との出会いにも繋がるかもしれない・・・!と思い、課題を書き上げた。(その時のnoteはこちら)
だからPOOLOを通じて、みんなとの対話を通じて、自己イメージを超える自分に出会いたい。自分で伸ばしたい強みとありたい姿は、以下の通り。これが、みんなとの対話を通じて変化していくのか、それとも深化していくのか、これからがとても楽しみである。
「軽やかさ」
ふわふわに泡立ったメレンゲのように軽い存在でありたい。フットワークは軽く、少しでも興味があるものには積極的に参加していきたいし、自分もまわりと何かを企画していきたい。
「温かさ」
バーナーで表面を炙ったブリュレのようにほんのり温かい存在でありたい。POOLOが始まって1ヵ月だけども、温かい人が多い印象。そんなまわりの人に感謝をしつつ、自分も場を温められるようになりたい。
「柔らかさ」
スフレのようにほわほわと柔らかい存在でありたい。自己の視点に固執せず、どんな場合も多様な視点で柔軟に対応できるようになりたい。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。