ひなたフェス備忘録 オタクとの思い出を添えて
はじめに
2024年の日向坂46の活動において、最も大規模であったと言っても過言では無い宮崎ひなたフェスに関して、12/15のリアルミーグリにてとあるFFの方と話している際に「その一連のエピソード、いい話過ぎるからもっと言っていった方がいいんじゃない?」と言ってくださったので、備忘録的な意味も込めて僕の辿ったひなたフェスへの道のりを僭越ながら書かせていただきます。
どのようなエピソードかは後述しますが、ざっくり言うと「往路のほとんどを青春18切符で移動した」、「総勢18人のオタクとキャンプ場のコテージで宿泊した」というものです。この説明だけで完全に変人なので、それでも読んでくださる方がいることを信じて筆を進めたいと思います。
※有益な情報や説みたいなものは全くないです、ただのオタクのながーーーーい日記みたいなものなので適当に読んでください。なるべく写真を載せて振り返ろうと思います。
ひなたフェス決定
4/7に行われた5回目のひな誕祭2日目において、兼ねてよりひなあいなどで言及されていた宮崎県でのフェスがついに9月に実現する、という発表がありました。いつものようにとんでもない天空席で発表を聞いた僕と連番者のそうそう(@tokimeki__sou)は、言葉を交わさずとも「宿を確保しないといけない」という共通認識のもと、規制退場時には既に僕は12人で泊まれる一軒家を予約していました。
「なんで12人で泊まるんだよ、多すぎるだろ」という指摘はごもっともです。常識では考えられない人数の宿を確保した背景としては、HappyTrainTour Kアリーナ公演、5回目のひな誕祭と仲のいいオタク10人超えでエアビー宿泊することが恒例となりつつあり、その予約に関して僕とそうそうが中心となっていたのでした。
まさかの宿消失→宿再決定
兎にも角にも宿泊場所を確保した僕は、一緒に宿泊したいFFを募りました。
集まった人数は総勢18人。
まさかの人数オーバー。
誰かを切るなんてことは当然したくないので、一旦予約した宿のオーナーさんに連絡をしてみました。返答は「18人泊まれる家もあります。」とのこと。安心安心、と思っていたのも束の間、そちらに変更をお願いすると「既に予約が入っているので無理です。」と返答、"18人泊まれる家が存在する"という情報をくれただけでした(外国人のオーナーさんだったのでこういう行き違いはしょうがないですね)。
このようにして完全に宿探しが振り出しに戻ってしまったのは、ひな誕祭から1ヶ月ほど経った5月初旬でした。そこから1週間ほど頭を悩ませ、ヒロミツ(@hinasche)さんにもアドバイスを頂きつつ行き着いた先は、"キャンプ場のコテージ"でした。団体として予約することで通常の予約開始よりも早く確保することができ、無事に総勢18人(コテージにして3棟ぶん)での宿が決定したのでした。
どうやって宮崎って行けばいいんだ?
早く宮崎行けよ、と思ってますよね。僕も思ってます。ですが、もう少し移動するまでの話をさせてください。
時は戻って5回目のひな誕祭2日目の帰りの電車内、同じく関東に住んでおり家もそれなりに近く共に大学4年のトリケラとプス(@tricera_To_ps)と「宮崎ってどうやって行くのが良いんだろう」という話をしている中で、単純に飛行機で行くのは芸が無い(何目線?)という共通認識は存在していました。そしてユニ春などの時にも利用した、時間はあるが金は無い大学生の強い味方である"青春18切符"を駆使しようという案が浮かびました(この間の18切符システム変更発表、かなり厳しい)。ざっくり調べてみると、福岡から宮崎まではバスに乗る方が便利そう、ということ以外はクリアしている様子だった為、あっさりその場で18切符移動が確定してしまいました(ひなたフェスハイってやつは怖いですね)。
このアホアホ計画に乗ってくれるFFを募ったところ、トリケラとプス以外に、にょぼ(@rinachen_1st)、ニャリン(@gorian_milk)が集まり、福岡でぐらすごー(@NibuHinano)と合流することが決まりました。ようやくこのnoteも宮崎に向かえます。
18切符移動、前半
時は9/3(火)、どう考えてもひなたフェスには早すぎる週の前半に移動を開始です。川崎駅から京都駅を目指し出発したまりも、にょぼ、ニャリンの3人(トリケラとプスは諸事情で京都合流)は、FFの家に前泊していたためほぼ寝ていません。計画もアホなら行動もアホすぎます。それどころか9/1(日)に肝心の18切符を買おうとしたところ(察しのいい方はお気づきかもしれませんが)、18切符の販売期間を過ぎており、夕方に金券ショップへダッシュする羽目になっています。
出発前からそんな珍道中の我々でしたが、京都までは特に何事もなく移動し、無事に移動の前半が終わりました(にょぼ宅お世話になりました)。
ちなみに、米原で最後の乗り換えをした際に、同じ車両にいたおばちゃん旅行集団の1人がはぐれてしまったようで、全員でかなり焦っていた様子がミニオンズみたいでめちゃくちゃツボだったのが思い出です(あとサッカー日本代表の堂安、久保あたりを何故かディスっていた)。
18切符移動、後半
丸1日休息として設けたため飛んで9/5(木)、続いては福岡の博多へ向けてまりも、にょぼ、ニャリン、トリケラとプスの4人で出発です。睡眠時間にしても長すぎる14時間半かかる移動なので、有無を言わさず始発に乗ります。そしてここでもまりも、にょぼ、ニャリンの3人は寝ていません。前日の夜に始めた日本史クイズにハマってしまい、まさかのオールをしてしまったからです(トリケラとプスはちゃんと寝ていました)。アホすぎて推しメンには言えません、言って叱られたい気持ちもありますが。
そんなこんなで立ったまま寝落ちしそうになりながらも途中で座ることができ、無事に博多まで辿り着くことができました。広島や山口に関しては通るのも完全に初めてだったので、また別の機会に訪れたいです。
そして、実は広島あたりで喉に違和感を覚えていた僕は、福岡にてぐらすごーと合流して宿泊する際に1人早寝を決行します。絶対に負けられない戦いです。
宮崎、上陸!
翌日の9/6(金)、これまた早朝のバスに乗り、博多から宮崎へと向かいました。なぜここで急ぐ必要があるかと言うと、4期生のお披露目映像の撮影地であるクルスの海や日向市駅もとい日向坂46駅に行く計画のためでした。早寝のおかげか体調もある程度回復しており、バスの中でも寝られたので気づいたら10時頃には宮崎県に上陸していました。
南宮崎駅付近のドデカラウンドワンを横目に見つつ、レンタカーでまずは日向坂46駅へ。野郎5人でヤリスにすし詰めかつ、全員免許は持っているのに運転手はまさかの僕だけというこれまたアホな行程ですが、ここまで読んでくださった方々はもうアホには慣れたと思います。
日向坂46駅ではタイミング良く何人かのFFとも会うことができ、ひなたフェス本番への機運がかなり上がったのが記憶に残っています。
お昼ご飯には日向坂46駅のすぐ側にあるビストロ南蛮亭さんでチキン南蛮をいただきました。へベス果汁をかけていただくという、生まれてこの方22年関東で過ごしている僕の全く知らない扉を開いてくれた美味しさが今でも忘れられません。
そして次にクルスの海へ。かなりの急勾配を登った先には絶景の展望台がありました。46時間TVで好ちゃんとはるはるが中継をしたり、美玖ちゃんとみーぱんが命名式に参加していたので場所自体は見た事ある方は多いかもしれませんね。
そして宮崎市内に戻り、コテージにチェックイン。諸々の事情で参加出来なかったり、途中参加になってしまったFFもいたのが非常に悔しかったです。当初、コテージから会場への移動は公共交通機関を使おうかな、と思っていたのですが、土日共に会場への無料送迎バスを出していただけるという運営からのアナウンスがあった時はかなり嬉しかったです(なにぶん駅までかなり歩くため)。運営のお気遣い、地元の方々のご協力に本当に感謝です。
運転手が僕だけかつ、車をその日中に返す必要があったため、チェックイン後も休む暇なく買い出しや宮崎ブーゲンビリア空港に到着したFFを迎えに行くなど大忙しでした。一緒に泊まったFF達はかなりバラバラの場所に生息しているので、ある人は飛行機で、ある人はフェリーと車で、ある人は特急で、など様々な方法で集合してくれたのが非常にアベンジャーズを感じました(オタクがAssembleしても戦闘力は上がりませんが、とっても楽しいです)。金曜日に到着してくれるよう調整してくれたFFも多く、非常に感謝しています。
しかし、数が集まれど揃いも揃ってひなたフェスに向けて気が緩んでいるので、かなりアホすぎるトラブルが多発していました。
① 買い出しの荷物の半分以上をスーパーに置き去りにする
大人数で金土日と3泊するため、金曜の時点で飲み食いするものを大量に買っておく必要があったのですが、購入後に運んだ荷物の1巡目で車がいっぱいになってしまったことで荷物を全部持ってきたと勘違い(大人が4人も揃ってアホすぎ)し、2時間後まで置き去りにしてきた荷物に車内の誰も気付きませんでした。買い物をしていた際に、明らかに異常な量を買い込んでいる僕たちに声をかけてくださった店員さんが荷物を取っておいてくれたことで事なきを得ました。本当に宮崎の方があったかくてよかった(美談にするな)。
② トリケラとプスがレンタカーに財布を忘れる
何はともあれ買い出しも済んでコテージでひと段落ついている金曜夜に発覚したトリケラとプスの財布紛失。レンタカー屋さんは既に営業時間終了した後に気付いたため、翌朝行ってみて車内に無ければ完全に詰みでしたが、しっかりドアポケットにありました。よかった(これも美談にしてはいけない)。ちなみにトリケラとプスは、金曜夜に車で来たFFがコテージに到着して即翌朝レンタカー屋に連れて行ってもらうよう土下座でお願いしていました(世界一スムーズな土下座でした)。
③ まっQ(@MAQ2b46)さん服紛失事件
大人数で宿泊しているため、荷物が混ざってしまうというのが懸念の1つでした。まっQさんが「持ってきたはずの服が見つからない」と言っていたので一旦全員で荷物を確認したのですが見つからず、帰ってからもう1回探そうという結論に至りました。
結果、その服は持ってきていませんでした。本当に怖かったです。
コテージでの食事ですが、野郎が集まっているだけなので基本的に著しくレベルの低いものしか食べていません。幸い米は大量に購入したため3日間食べることができ、金曜夜の主菜は謎の冷凍肉と冷凍餃子でした。味が濃くて美味しかったです(0点食レポ)。
そして夜になると微妙に体調不良がぶり返していた僕は、前泊とかいう1番盛り上がるタイミングで23時に寝ました。どう考えてもこれまでのアホ行程の揺り戻しなのですがね。吐きそうになりながら粉薬を飲み、寝てみるとあら不思議。翌朝には完全回復をしており、それ以降は体調の心配無くひなたフェスに臨むことが出来ました(コテージを3棟予約していたことで生活圏を分けられて静かに寝られたのも良かったです)。
ひなたフェス、1日目
そんなこんなでまあまあ早起きをした僕は、泊まっていたFF数人と9:30キャンプ場発のバスに乗って会場へ向かいました(他の皆は夜盛りあがっていたので半分くらいは起きられていません)。
まずはやっぱりスミラックアウト、ということで到着してすぐに並ぶと、ものの5分ほどでチャレンジすることが出来ました。そしてFFの皆が終わるのを待っていると、まさかのサトミツさん登場。Jリーグのガンバ大阪サポーターでもある僕は、町田ゼルビアのユニフォームを着たサトミツさんにヤジを飛ばしていると(一応補足ですが僕だけじゃないです、サトミツさんもオタクを煽ってました)、藤尾翔太選手によって物議を醸したPK時のボール水かけを行って会場を沸かせていました。
続いてはサトミツさんの後ろにも写っていますがメンバー全員分のジャンプパネルです。ひなたフェスでは自分が写っている写真が沢山増えたのも嬉しかったポイントです、やっぱり自分が行った証が多い方がいいですね。横にはひなあいブースもあり、寿司ワゴン引きやMC席を体験できたのも楽しかったです。
お昼近くなったので、なにかお腹に入れようということで沢山の出店を見ていると、やはり目に付いたのは「みつをこぼせ」さん。かなりの並びではありましたが、複数人でいる醍醐味でもある"話しながら並べる"という利点を活かしてなんだかんだ2,30分程で買うことが出来ました。天然氷を使ったふわふわのかき氷、あんこも使われていてあんこ同盟の一員である僕(みっちゃんとみくにちゃんのコンビ、なぜ僕が名乗っているのかはツイート参照)も大満足の逸品でした。
そして午後はかなり盛り上がったパレード。またもや複数人の利点を活かし、場所取りが許可された沿道に交代制を敷き、僕は運良く美玖ちゃんとみっちゃんからレスを頂けました。みっちゃんに気づいて貰った時の喜びは今でも忘れられませんね。
パレードを最大限満喫した我々は、ついにライブ本番へ。ひなたフェス発表時にも記載していますが、僕とそうそうの連番はかなり席運が終わっているため、めちゃくちゃバックネット越しの座席でしたが、それ以上に"宮崎県にこんなにも観客が集まるグループを応援出来ているのか"という事実にかなり気分が高揚していました。
ライブも無事終わり、コテージに戻った我々は、ご飯作り勢と洗濯勢に別れて作業を行いました。土曜日のご飯はほぼ具のないカレーです。食えればいいの権化のようなメニューでしたが、皆で囲めばご馳走。洗濯では皆の推しメンタオルが大集合したため、干している状態がかなり壮観だったのも思い出です。
そして土曜の夜には、惜しくもパレードで推しメンからレスを貰う事が出来なかった人達の非常の綿密な作戦会議が行われていました。開催中の状況を整理し、どこに陣取るのが正解か、どういう声の出し方が良いのかなどを真剣に話し合っており、推しメンへの愛を感じました(決して面白がってはいないです)。
また、コテージの周りは完全に灯りが無いため、満天の星空を見ながら寝転がってお酒を飲んだのも非常に思い出深いです。にょぼが9/7にちょうど誕生日だったので、皆で胴上げしたのも最高でした。完全にオタク修学旅行、絆を深められたのが何よりのお土産かもしれません。
ひなたフェス、2日目
次の日も同様のバスに乗り会場へ。まずは前日に出来なかったひなあいキーホルダーのガチャガチャを回しに向かうと、既に長蛇の列が。もちろんFFと話しながら並んでいたので何とか耐えられましたが、炎天下の中1時間ほど1人で並ぶのはかなりしんどかっただろうなと思います。
続いてパネル巡りをしようということで全員分巡りつつ、作戦会議の結果を活かしたパレードの場所取りを決行。結果的に1日目より多くのメンバーに気付いてもらうことができ、皆かなり満足な結果となりました。特にこれが印象的ですかね、完全に数の暴力。
2日目のライブは3塁側の花道先端に近いスタンドから。近くにFFも数名おり、キツネの際にみっちゃんと0ズレがあってラッキーすぎました。そしてライブ最後には全国ツアーのお知らせ、最終公演は東京ドームということで大団円。終演後はFFと合流して沢山感想を言い合い、最後の最後まで本当に楽しいフェスでした(当時の僕はツアーの日程と卒論に怯えていました、先日無事提出できたので良かったです)。
コテージに戻った後は前日と同様に2班に別れての作業。この日参戦した飲食関係で働くFFのおかげで灰色だった食卓に革命が起きました。
帰宅、しかし1日では帰りません
9/9(月)、チェックアウトして各々帰っていくのがかなり寂しかったです。日常に引き戻される感覚が強かったのですが、実は僕に関してはまだ帰りません(早く帰れよ)。鹿児島経由で帰る計画をトリケラとプスと立てていたため、その他数人と特急で移動しました。
乗車中にひなたフェス対策本部の最後のブログが更新され、電車内で涙を流しつつ僕は9年ぶりに鹿児島へ上陸しました。地元の方の多大なるご協力に加え、事務所としても初めての経験であり、本当に多くのリソースを割いて成功させたイベントだと思います。一生大事に出来る思い出を大好きな日向坂46と共有出来たのが心から嬉しいです。
到着後は鹿児島ラーメンで腹ごしらえをしつつ、宿にチェックイン。天文館近くだったため、少し休んでしろくまと両棒餅を食べに行きました(デブ行動)。
そして夜ご飯には一緒に泊まった4人でこれまた九州名物鳥刺しを頂きました。ついでにチキン南蛮やらレバーのタタキなども食べられて大満足。
食後は宿に帰ってダラダラしていたのですが、ここで私はベッドにて思いっきり寝落ちをしてFFを床で寝かせてしまう失態を犯してしまいます。そして7時頃ふと目覚めると、起きたら出発しているはずのトリケラとプスが居るではありませんか。そうです、彼はやりました。"飛行機を寝過ごす"という今回の行程最大のやらかしです(彼はゼミ合宿のためにほぼ始発のバスに乗って空港に行かねばなりませんでした)。もう焦っても仕方が無いので、僕ともう1人のFFが観光をするために借りていたレンタカーで彼を空港に送り届け、お昼は鹿児島名物鶏飯をいただきました。
無事見送った後は霧島神宮に行きました。九州の自然溢れる名所はどこも気分が晴れやかになりました。夕方に近かったこともあり、人も少なく快適でした。
そして夕食には前夜にもいただいた鳥刺しを霧島神宮にほど近い別のお店で。ここは焼きもあり、非常に美味しくいただきました。
鹿児島ではかなり食を満喫し、観光を楽しむことが出来ました。きっとコテージでの低レベル食事の反動です。何はともあれ鹿児島空港まで帰ってきた僕は、ソラシドエアさんにお世話になり、お家へ帰れました(ちょうど復路の時期に九州発東京行きのセールをしていたので、かなりお安く乗れました)。
後日談ですが、鹿児島1日目で泊まった4人は全員お腹を壊しました。多分鳥刺しです。僕は平熱が35.8℃ほどと低いのですが、38.5℃まで熱が出たので、皆さんも睡眠不足や疲れている時に生物を食べる際はお気をつけて(お腹下すのもかなりしんどかったので気をつけてください、マジで)。
おわりに
ここまで長々とお付き合いいただきありがとうございました。完全に知らないオタクの旅行日記でしか無かったのですが、こんな行程でひなたフェスに参加していた人もいるんだ、という参考であったり、ひなたフェスの思い出を振り返るきっかけのひとつになれば幸いです。また、今回のひなたフェスに参加出来なかったり、最近日向坂を好きになった方が遠征するきっかけになればより嬉しいです。
日向坂のおかげで宮崎という初めての地に行くことができ、多くのFFと楽しい思い出を共有出来ました。どう考えても異常な行程ではありましたが、一緒に過ごしてくれた皆には感謝しかないです!もちろんひなたフェスに関わってくださった全ての方々にも感謝してもしきれません。これからも日向坂の未来が宮崎の晴れ渡る大空のように広がっていることを願って、筆を置かせていただきます。