瞳の中の宝石
まもなく発売のセカンドアルバム「縦横無尽」のジャケットの宮本浩次さん。
瞳が美しい
いや、今に始まったことではないのですけれど、最近ヤケに美しいとは思いませんか?
黒目部分が大きくて白い部分もわたしの年代だと黄ばんだ色だけど宮本さんは本当に「白い」そして、黒目と白目の境がハッキリしてる。
生まれながらの理想的な瞳の構図に
以前から「瞳」の話はファンの間でも花が咲いていた。
小さなお顔の中の光る瞳にお髭面のアンバランスさに萌える筆者だが、
最近の宮本さんの瞳キラキラを見てると、より一層したキラキラが私たちの目に届くような「技」ってものをどこか感じる。
美しいものをより美しく、輝かしいものはより輝かしく
見れば見るほど「仔犬の目」など、黒目に光を反映させる瞳、わたしも長い間「相棒」と呼んだ愛犬と暮らしてきたので、毎回よく表現したものだなと感心する。
写真だけでなく、出演するテレビ番組で歌ってる宮本さんを拝見してても、キラキラと輝く立ち位置を感じる。
今の技術はわからないが(そもそも撮影のプロのではないので)、かつて、その瞳を輝かせることに苦慮した人がいた。
時は遡り1974年宝塚歌劇月組公演で初演された「ベルサイユのばら」で初代オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェに抜擢された
榛名由梨(はるなゆり)さん
初めて劇画の中の人物を演じる、今ではあるあるの話だけど、当時では前例なき話で、なんせ劇画の中の登場人物の瞳には星が輝いてる。
が、生身の人間が星を飛ばせないところで真剣に目の中に星を入れようかと思ったとも聞いたことがある(うる覚えにてホンマかいな)。
今なら「星付きコンタクト」などの方法もあるかもしれないけれど、当時はコンタクトレンズを入れる人って、わたしは小学校3年生だったが、殆どが黒縁メガネの時代で、ないない尽くしだったろう。
けれど、原画に近づき何としてでも瞳から星を飛ばせねばならないし、劇画の「オスカル様」のイメージは損なわせられない。
そんなところでも演出家・長谷川一夫先生の緻密な計算によって実現したという。
その方法が舞台照明の光を役者の目にキャッチをさせてライトに光を反射させること。
そのキーポイントが
1階「い」の23番
旧宝塚大劇場を知らない人はなんのこちゃ!でしょうね。
当時の座席配列が「いろはにほへと…」の順だったので、
今で言う「1列目」の23番の座席
当時のセンターが28番だったので
少し下手側の位置
その“「い」の23番”辺りに目線を据えること。
そうするとスポットライトが瞳の中にキラキラと星が輝いたそうだ。
確かに当時の榛名さんの舞台写真を幾度と拝見したが、瞳の中に光がキラキラと輝いていた…
…なエピソードが頭に浮かぶ。
そんな対策もあってかその後空前の「ベルばら」大ブームを引き起こし、今も度々再演されてる「ベルサイユのばら」の初演が、どれぐらいの世代がご存知だろうか(実はわたしも初演は実際には観ていない。)。
話を宮本さんの瞳に戻そう。
なので、宮本さんの瞳も緻密な計算によって美しくかつcuteにポーズングや角度で最大限に活かされてるのだろうなと考えてしまう。
宮本さんの瞳キラキラが見えたときに何処かで見たことがある、見たことあるぞ!と考えていたが、榛名由梨さん演じる「オスカル様」の瞳だったんだ!と今更ひとりで感動している。
宮本さんの瞳は、宮本さんの創り出す楽曲にも登場する「星」と準えてるほうがピッタリ合うし、セカンドアルバム「縦横無尽」のトラックリストにもある“光の世界”というタイトルから、とてつもない光の時間を越えて私たちの目に届く星の光を宮本さんの瞳の輝きなのだ。
と、話を締めるのが理想的だけど、
瞳の中の星よりは…
わたしは宝塚の世界から45年の時を経て宮本さんを見い出せた気持ちを込めて宮本さんの瞳のキラキラは
瞳の中の宝石
だと感じている。
こちら、1976年月組で初演された「バレンシアの熱い花」の劇中の楽曲のタイトルで、歌詞もストレートで、小はずかしいけど
宮本さんの“瞳の中の宝石”がいついつまでもキラキラと輝いていますように
そして、これからの活動もキラキラ輝かしいものでありますように
ちょっとだけ歌詞を添えさせてください。
瞳の中に宝石が見える
きらきら光る紅(くれない)の輝き
その輝きは私に火をつけ
孤独な私の心を燃え上がらせる…
(以下「愛してる」を8回繰り返し、恥ずかしので省略)
P.S.
忘れかけてた部分は下記を参考にさせていただきました