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地方移住と地域おこし協力隊

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東京出身、海外生活7年、YouTuberという仕事を経た私が、ご縁に導かれるように地域おこし協力隊としてやって来た、瀬戸内海に浮かぶ香川県土庄町(とのしょうちょう)。小豆島、豊島…
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#地方移住

地域おこし協力隊としての全活動、退任、そしてこれから

土庄町地域おこし協力隊、退任のお知らせ新年1本目の記事冒頭から私事で恐縮ですが、お知らせです。 2022年12月末をもちまして、私、吉田小百合は、香川県土庄町地域おこし協力隊を退任いたしました。 任期中の活動に際し、お世話になった土庄町、小豆島、豊島、香川県のみなさま、漁業関係者のみなさま、土庄町役場のみなさま、特に業務やスケジュールとの兼ね合いで直接のご挨拶が叶わなかったみなさまに、この場を借りて改めて感謝の意をお伝えしたいと思います。 活動にご協力いただいた全てのみ

埼玉から瀬戸内へ・豊島でみつけた理想の仕事と暮らし

コロナ禍以降、地方移住に注目が集まる中、移住の手掛かりのひとつとして認知度が拡大した総務省の施策、「地域おこし協力隊」。地方移住を考える方は、一度はこの制度を耳にしたり検討したことがあるかもしれない。 この記事を書いている私自身も、1年半ほど前に地域おこし協力隊として香川県土庄町へ移住。町の漁業を知っていただくための情報発信を中心に活動をしている。 土庄町がこの制度を導入して最初の隊員である稲子恵さん。彼女も協力隊への応募をきっかけに、瀬戸内海の離島の中でも島移住希望者に

漁師さんと底曳き網漁へ【小豆島の漁業レポ】

小豆島へ移住して1年半。地域おこし協力隊の漁業振興活動の一環として、小豆島の地魚ブランドでもある「小豆島島鱧」が漁れる底曳き網漁に連れて行っていただいた。 東京で生まれ育った私が魚を目にするのは、街のスーパーや商店街の魚屋さんが主な場所だった。伯父は私が幼い頃に寿司屋を営んでいたし、亡くなった祖父は釣り好きだったので、魚の漁れる場面に全く縁がないわけではなかったが、都会に住んでいた私にとっては店頭や食卓に並ぶ海産物と漁の様子が正直なところあまりリンクしないまま大人になった気

瀬戸内の離島で天日塩づくりに魅了された元ラジオディレクター【やりたいことの見つけ方】

「自分の中で確信の持てる直感」に従って、導かれるように人生を決断した経験はあるだろうか。振り返ると、1年半前に私が小豆島へ移住を決めた時も、そんな自分の直感を疑うことなく、流れに乗って決めたように思う。 この記事の主役は、東京のど真ん中のラジオ局で番組制作をしていた元ラジオディレクター。彼は、取材で訪れた瀬戸内の離島、豊島に惹かれ、翌々月には妻と共に移住。さらにその2年後、自身の直感に従って塩ハウスをつくり、天日塩づくりを始めた。 今回は、そんな1組のご夫妻の移住と塩づく

地域おこし協力隊の活動を知っていただくために必要なこと

地方自治体の一員として、行政側の立ち位置で地域と関わらせていただく「地域おこし協力隊」。 一部、Uターンの隊員も活躍しているが、協力隊の多くは私と同じくIターンの移住者。外から地域に来させていただいた立場の私たちが、地域で一緒に何かに取り組ませていただく場面で必須となること。それは、地域の方々への相談や説明、そして、ご理解・ご協力を得られるかどうか。そのために怠ってはならないのが、「いかに地域のみなさまに知っていただくか」である。 初めての活動中間報告会今週火曜日、私が地

家庭菜園から専業農家へ、女性農家のリアル【やりたいことの見つけ方】

小豆島へ移住して1年が経つ。 「東京から地方へ移住したこの1年で最も大きく変化したことは?」 そう聞かれて真っ先に浮かぶ回答は、 「第一次産業の現場を自身の目で見る機会が増えたことで、生産者さんのことをより身近に感じられるようになったこと」だ。 これまで都会のスーパーで、野菜や果物、海産物を手に取り、食卓に並べるだけでは分からなかった、生産者さんの日々のドラマや思いをご本人から伺い、また、その現場を実際に見せていただくことで、自分ごととして感じられるようになったのは、我

東京から小豆島へ、地域おこし協力隊1年目を振り返る【地方移住】

2022年8月、地域おこし協力隊として任期2年目に突入。 私が東京から小豆島へ移住して満1年、という節目でもある。 今回の記事では、離島へ移住して「地域おこし協力隊」として活動した任期1年目のまとめを綴っていく。 この記事は?地域おこし協力隊とは?まず、「地域おこし協力隊」の制度をご存知ない方は、こちらをどうぞ! ミッションとこれまでの仕事地域おこし協力隊の個々の「ミッション」は、各自治体の募集ポジションによって異なる。場所によっては「フリーミッション」といって、「この

小豆島・漁師兄弟とタコ縄漁へ!【小豆島の漁業レポ】

通年、旬の食材が豊富な小豆島。 この島では、毎年夏の時期になると、タコ飯やタコの天ぷらなど、食卓にタコ料理が並ぶご家庭が多いという。 これまでもnoteで何度も登場している「小豆島のお父さん・お母さん」こと、我が家の大家さんご夫妻も、この取材の前々日に「タコ飯、炊いたから食べる〜?」と、その日に仕入れたタコで作ったという炊きたてのタコ飯をおすそわけしてくださった。 こうした日常からも、タコがこの時期の島の風物詩であることがよくわかる。 瀬戸内海周辺エリアは漁業が盛ん!瀬戸

「働く」と「暮らす」が寄り添う島生活 夫婦ではじめたオーガニック農園【やりたいことの見つけ方】

週末に小豆島を訪れるという人には、土曜を挟んで滞在することをおすすめしている私。 「せっかくなら土曜を挟んで来てほしい」 私がそうおすすめする理由は、小豆島を訪れたらぜひ足を運んでいただきたい!と個人的におすすめしている島の素敵なカフェ、HOMEMAKERSが、毎週土曜の昼間、週に一度だけオープンしているからだ。 名古屋から小豆島へ移住、オーガニック農家へ転身この記事の主役である三村拓洋さんが、妻・ひかりさんと2013年に設立したオーガニック農園「HOMEMAKERS」

小豆島のたべもので島の魅力を伝えたい!香川県オリジナルアスパラ「さぬきのめざめ」とオリーブ作りをはじめた農家の想い

好き嫌いがほとんどなく、大人をほぼ困らせることなく育った私だが、唯一、幼い頃から嫌いな食べ物があった。 「アスパラガス」である。 娘の私がなぜアスパラを嫌がるのか、そのきっかけも理由もさっぱり分からないと母はよく話していたが、アスパラ嫌いの私に言わせれば、嫌いには嫌いなりの理由があった。 ① 独特の香りと、食べた時のクセのある味 ② ぐちゃっとした歯ごたえと口に筋が残る食感  (茹ですぎと皮を下処理忘れという、母のうっかりが原因な気が…。) ③ 缶詰の白いアスパラガスの

「魚礁」で海の環境を育てたい!瀬戸内海の漁師さんとタコの放流【小豆島の漁業レポ】

約7年の海外生活を経てコロナ禍真っ只中の2020年末に”一時帰国”の予定で帰国後、偶然のご縁が次々と繋がり、昨夏、地元東京から瀬戸内海の離島「小豆島」へ移住した私。 移住の大きなきっかけとなったのは、総務省の「地域おこし協力隊」という取り組み。 映画「二十四の瞳」「八日目の蝉」で有名な”オリーブの島”小豆島、瀬戸内国際芸術祭で人気の豊島を含む、香川県の土庄町という小さな町の自治体で、私は自身の活動と並行しながら「地域おこし協力隊」として漁業振興に携わっている。 今回の記

移住で出会った島風景 小豆島の夜を彩る電照菊ハウス

小豆島へ移住して初めての冬。 温暖な瀬戸内気候であるこの島も、今冬の夜の冷え込みは一段と厳しかったという。 そんな冬の夜に車を走らせると、暗闇にぼんやりと光るビニールハウスを時折見かけることがあった。 光りの正体は、「電照菊」のハウス。 電照菊の産地としてよく知られるのは、愛知県の渥美半島。 私が昨夏に移住したここ、小豆島は、いまでこそ「オリーブの島」として認知されるシーンが増えたが、かつて小豆島は日本有数の電照菊の産地として知られていたそうだ。 小豆島の島内あちこち

生まれ育った島の集落へUターン みかん農家へ転身したバンドマン

大学進学を機に、生まれ育った小豆島、中でも棚田や農村歌舞伎、虫送りの文化など、美しい日本の原風景が残る肥土山を離れ、ひとり大阪へ。 10年ほどの音楽活動の後、バンド解散を経て大阪から小豆島へUターン。 コロナ禍の真っ只中に8年間勤めた地元の飲食店を退職し、みかん農家への転身を決めた。 それが、この記事の主役、文次郎農園の太田翔さんだ。 今回は、大阪から小豆島へUターンを決めた理由、都会と島での暮らしの変化、みかん農家への転身を決めたきっかけ、そして、もうすぐ限界集落となる

金融コンサルからいちご農家へキャリアチェンジ!40代からの島移住

大阪で10年間、金融コンサルとしてバリバリ働くサラリーマン生活を送っている中、40歳のある日、瀬戸内海の小さな離島「豊島」へ移住。 島暮らしの生業として選んだのは、農業だった。 それが、今回の記事の主役であり、私にとって香川県土庄町地域おこし協力隊の大先輩でもある新屋貴之さん。 前回は アウトドアを仕事に!自然に魅せられた彼女の島移住ストーリー【やりたいことの見つけ方】 地域おこし協力隊のカタチ と題して、3年間の任期を満了されたばかりの元・土庄町地域おこし協力隊の立屋