アルノーとの出会い(フランス恋物語⑦)
合気道
私は日本に住んでいた時、長年合気道の稽古に励み初段まで取っていて、フランスでも合気道をやるつもりでいた。
フランスでは合気道が盛んで、本国日本を抜き競技人口は世界一だという。
難関と言われているフランスのワーキングホリデービザも、申請動機作文で「合気道で日仏交流の架け橋になりたい」と書いたら合格することができた。
フランス人と合気道の稽古をやるのは楽しそうだし、合気道好きのフランス人なら親日の人も多そうだ。
私はトゥールにある合気道道場を探して師範と連絡を取り、2月から入会することになった。
稽古初日
師範から送られたメールを頼りに、バスで道場に向かった。
バスを降り体育館らしき建物に入ると、受け身の音が聞こえてきた。
「Bonsoir!」
道場の前で挨拶すると、師範らしき男性と師範代らしき女性が笑顔で出迎えてくれた。
稽古開始時に周りを見渡すと、女性は師範代と私だけで、日本人は私一人だった。
初めは緊張したけれど、みんな優しく技を合わせてくれて、とても楽しく稽古できた。
先生の説明はフランス語だが、技の名前は日本語なので稽古に支障はない。
合気道の技を組めば、相手の性格や、周りに対して配慮できる人かどうかが手に取るようにわかる。
彼らは、予想以上にレディファーストな紳士ばかりだと感じた。
私は日本から持って来た合気会国際有段者証を師範に提示したので、初段の段位を認めてもらえた。
この道場の中で有段者は珍しいようで、彼らが私に敬意を払ってくれているのが感じられ、身が引き締まる思いだった。
そして、彼らの態度からは合気道発祥の国・日本への憧憬が感じられ、日本人としてこんなに嬉しく、誇らしいことはなかった。
まだ初日だったが、「この道場に入って良かった」と、心から思った。
親切すぎる申し出
稽古が終わって帰ろうとすると、師範に呼び止められ、
「今夜はアルノーが送ってくれるし、次回からも毎回誰かがあなたを車で送迎してくれるから、もうバスに乗ってこなくていいよ。」
と言われ、驚いた。
ここの道場は、毎週月・木曜の夜と、日曜の朝と週3日も稽古がある。
車を持っていない会員への配慮なのかどうかはわからないが、今夜だけならともかく、毎回送迎してもらえるなんて親切すぎるだろう。
でも、彼らは信用に値する人たちだし特に断る理由もないので、その親切を素直に受けることにした。
とにかく、師範の2人と仲間たちは信じられないくらい私に親切だった。
アルノー
私は日本で合気道をやっていた時から、仲間の男性とは恋仲にならないよう細心の注意を払ってきた。
合気道の稽古はかなり体が密着するが、そんな時に男女を意識したくないからだ。
また、付き合った後に別れてしまったら、気まずくなって稽古に通いにくくなる。
そんな理由から、今日も彼らをただの稽古相手としか見てなかったのだが、会ったばかりの男性の車に乗ると聞き、私は急にそのアルノーという男を意識しだした。
改めて見ると、私と同じくらいの30歳前後で、眼鏡が似合う知的な雰囲気だ。
稽古の時は眼鏡を外しているのだが、車を運転する時に眼鏡をかけるギャップがいいなと思った。
・・・すぐにそういうことを考えてしまう自分を戒めた。
いざ車に乗り込むと、"カッコいいと思っている人と密室で二人きり"という、特別な空間にドキドキしてしまった。
横でハンドルを握るアルノーを、ついつい盗み見してしまう。
鼻筋が通ったその横顔は、とても美しかった。
アルノーは、フランス語がおぼつかない私のために、ゆっくり、丁寧に、簡単な単語だけで話すよう努めてくれる。
初めて電子辞書なしで会話することができて、私は感動していた。
それだけのことで、簡単に好意を持ってしまう私ってなんて単純なんだろう・・・。
車を降りてお別れの挨拶をする時、フランス特有の頬同士をくっつける挨拶である”BISOUS”(ビズ)をするのかな?と、私はその瞬間を期待した。
しかし、アルノーはBISOUSはせず、ただ握手だけして帰って行った。
それは初めて会った日だからなのか、私がBISOUSの習慣のない日本人だからか・・・。
それでも、このロマンチックなシチュエーションに私の気分は高揚し、その夜はなかなか眠れなかった。
ドライブデート
何度も稽古に通ってみると、私を送ってくれるメンバーはアルノー含め3人ということがわかった。
アルノーに送ってもらえる確率は約3分の1。
師範に「今日送る人は(次回迎えに来るのは)〇〇だよ。」と聞く瞬間は、毎回ドキドキだった。
残り2人の男性は意識する対象でなかったので、気楽な気分で車に乗れたのは良かったが・・・。(ゴメンナサイ)
私はアルノーの車に同乗する度に、どんどん惹かれていった。
車内に二人きりで、好きな人の横顔を眺めながら会話できることは、とても幸せな時間だった。
BGMに合わせて口ずさむ歌声も素敵で、ずっと聴いていたいくらいだ。
助手席に乗った私は、ひと時の恋人気分をこっそり噛みしめるのだった。
BISOUS
アルノーに送迎してもらって、何度目かの夜。
車から降りた時、私は「BISOUSしていいよ。」と頬を差し出した。
フランス人にとってBISOUSは恋人同士のためのものではなく、家族や友人(異性、もしくは女性同士)が普通に挨拶するものなので、私がこう言っても不自然ではない。
すると、アルノーは嬉しそうに「いいの?」という感じで、私に軽くBISOUSをした。
アルノーとの距離が一歩縮んだみたいで、すごく嬉しかった。
キス友達のクラスメイト・ジュンイチくんへの依存も、これで卒業できるかも・・・!?
映画への誘い
ある稽古の帰りの日。
アルノーに車で送ってもらっていたら、唐突に、
「映画に行かない?」
と誘われた。
私は「やった~!!」と心の中でガッツポーズをし、「是非是非、行きましょう。」と返事した。
「ブラット・ピット主演の『ベンジャミン・バトン』はどうかな?」と提案され、何でも良かったので「いいね、私も見たい。」と即答した。
私はすっかり舞い上がってしまい、その後のアルノーとの会話を覚えていない。
当日どんな服を着て行こうかとかそんなことで頭がいっぱいで、アルノーのフランス語を注意深く聴く努力を怠っていた。
とにかく、待ち合わせさえちゃんとできればいいと思っていたので、「来週土曜日の17時に家に迎えに行くね」という約束を確認し、私たちはBISOUSをして別れた。
「次の挨拶は、BISOUSじゃなくて、唇にかしら☆」
・・・私は初デートの約束に有頂天だった。
待ち合わせ
待ちに待ったその日はやってきた。
持っている中で一番可愛い服とアクセサリーを選び、化粧もいつもより念入りにして、デートの準備はバッチリ!!
約束の時間に家の前で待っていると、アルノーの車が近づいてくるのが見えた。
私は満面の笑顔で、運転席の彼に手を振った。
しかしその後、「一番大事なことを聞き逃していた」事実に気が付いた。
助手席に、見知らぬ女性が座っていたのだ・・・。
「やぁ、僕の妻のクロエだよ。」
開口一番、彼はその女性を”自分の妻”だと私に紹介した。
勘違いし有頂天になっていた自分を殴りたくなった。
とにかく気持ちを切り替えて、その不思議な組み合わせの3人で映画鑑賞を楽しむことにした。
私を映画に誘った理由
映画「ベンジャミンバトン・数奇な人生」は、「主人公は生まれた時が老人で、だんだん若くなっていき、最後に赤ちゃんになって死ぬ」という話だった。
あらすじは予習してきていたが、音声は英語、字幕はフランス語で、ひたすら必死にフランス語の字幕を追い求めていたので、正直映画の内容はあまり頭に入ってこなかった。
でも、「英語のリスニングとフランス語のリーディングはどちらがやりやすいか」と比較するのは、やってみたら面白い。
日本では絶対できない経験なので、フランスにいるうちにいっぱい映画を観ておこうと思った。
その後、3人で食事をして、どうしてアルノーたち夫婦が私を映画に誘ったのか理由を話してくれた。
「日本からフランスに来たばかりの君を心配して、映画に連れて行こうと思ったんだ。
僕の友達ということは、クロエの友達ということでもあるからね。
君は4月にパリに行ってしまうけど、トゥールにいる間にいい思い出を作ってほしかった。
これからも家族ぐるみで仲良くしたいと思ってるよ。」
・・・この優しすぎる夫婦の言葉に私は泣きそうになり、彼らと出会えたことを心から感謝した。
そして、惚れっぽくてすぐに恋愛モードになる自分を恥じた。
こうして、トゥールの合気道道場で見つけた私の恋は失恋で終わった。
しかしこの後、別の合気道仲間によって、一生忘れられない思い出が作られることになるのである。