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「100日後に死ぬワニ」で思い出したこと
今、世間は4コマ漫画「100日後に死ぬワニ」の話題でもちきりである。
私はいきなり最終回を見てしまったので、わざわざ遡って全編読みはしないが、きっと作者は「人間いつ死ぬかわからないから、何気ない日常を大切に生きよう。」と言いたかったのであろう。
(勝手に結論づけてごめんなさい)
その話を聞いて、自分も死を意識した瞬間があったのでここで紹介したいと思う。
その時私は大学2年生で、季節は秋だった。
学校帰りの帰り道、薄暗くなる中、父のお下がりの原付に乗り、駅から家路までの道を猛スピードで走っていた。
なぜそんなに急いでいたのか!?
バカバカしい話だが、私はすごくお腹が空いていて母の作る晩御飯が早く食べたかったのだ。
交差点に差し掛かるところで、対向車の軽トラックが右折しようとするのが見える。
私は「直進優先」というルールのもと減速せず、むしろ「私は停まる気はないですよ」とばかりアクセルを強めた。
「軽トラは停まってくれるだろう」という100%の期待をこめて・・・。
しかし、現実は違った。
軽トラとぶつかる直前私が思ったことは、20年以上経った今でもはっきり覚えている。
「あ、これ死ぬな。」
「これなら苦しまずに死ねるな。」
頭が真っ白になって、私は意識を失った。
さて、19歳の私は死んだのか!?
みなさんご存じの通り、41歳の今もこの通り健在である。
話を戻すと、私は救急車の中で意識が戻った。
救急隊員が、私の脱がしにくいブーツを一生懸命脱がそうとしているのが見える。
助かったという安堵の気持ちと、ミニスカートだからパンツが見えそうという羞恥心、「脱がしにくいブーツでごめんなさい。」と言ったことをすごく覚えている。
病院に到着すると既に両親が待っていて、担架で運ばれる私を心配そうに覗き込んでいた。
絶対怒られると思っていたのに怒られなかったのが意外で、それどころじゃなかったんだなぁと後になって親の愛情に気付いた。
幸い怪我は大したことなく後遺症も残らず、3日間の検査入院で退院することになった。
親からは原付禁止令が出たし、もちろん自分で乗ろうとは思わない。
「死ぬ確率が最も高い乗り物は原付説」は本当なのかも?とつくづく思った。
軽トラとの衝突は軽傷で済んだが、運転手がそのまま逃げていたら、意識を失った私は後続車に轢かれていたかもしれない。
たまたま運転手が良心的な人だったからよかったものの、下手したら自分が19歳という若さで死ぬ可能性もあった。
それ以降、「人間いつ死ぬかわからないし・・・」と思うようになった。
だから私は、いつ死んでも後悔しないように、将来のことはあまり考えず今やりたいことをやるようにしている。
そして、強く残っているのは、自分が死を意識する瞬間に思った「これなら苦しまずに死ねる。」という感覚・・・。
私は「死」よりも「痛み」を恐れる人間なんだということがよくわかった。
だから神様は、私に妊娠・出産の痛みを与えなかったのかもしれない。
これからの人生、どんな身体的痛みが私を待ち受けているのかわからないけれど・・・。
外部リンク:
友人のていないさんの記事「100日後に死ぬワニの電通案件の証拠って、全然証拠じゃない気がするから調べてみた」https://www.teinai.work/entry/100wani
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