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7年の母の介護の記録⑤

2023.3月。
後頭部の真ん中あたりに褥瘡が
できていると連絡。
この頃から、症状を頻繁にやりとりし、
褥瘡の状態をこまめに
報告していただいていました。

3月下旬。
褥瘡が悪化。食欲も戻らず、
かなり体力が弱ってきていると言うことで
点滴を開始。 
この時も、食欲が戻れば、元気が戻るはずと
思って(願って)いました。

4月。
コロナが、少し落ち着いてきて、
窓越し面会ができると言われ
予約を入れようとした矢先でした。
褥瘡が悪化。
かなり衰弱してきていて、
ほとんど食べないと。
看取りの準備に入りますと
連絡がありました。

4月下旬。
看取り介護に。
いつでも、面会が可能になりました。
久しぶりに顔を見て、あまりにも痩せていて、
思わず、号泣してしまいました。
窓越し面会で握れなかった手を
「お母さん」と何度も言って
ずっと握っていました。
意識はもうほとんどなかったです。

親戚の方々も、お見舞いにきてくださいました。
3姉妹でお見舞いに行って
撮ってきた写真がいい写真で。
大好きな孫に囲まれ幸せそうで(涙)。
行ける時は、何度も顔を見にいきました。

看取り介護とは、家族にとっても
心の準備をするために大切な期間なんだなと
思いました。
職員さんには感謝しています。
看取り介護の間は
ノートが準備されているのですが、
細かく、時間ごとに、
母の状態が書かれていました。

5月6日の朝、電話がなりました。
恐る恐る電話に出た記憶があります。
心臓がバクバクでした。
「呼吸がとても荒くなっていて、
危ない状態です」と言われ、
急いで、みんなで母のところへ。

母の呼吸は、荒く、スローで。
時々、止まる、を繰り返し、
その度にみんなで声をかけて、
また、呼吸する、の繰り返し。
だんだん、止まる時間が長く、
「がんばって!」と何回も声がけしました。
2時間ほど、がんばってくれましたが、
最後に深い息をして、止まりました… 
看取り介護開始から2週間ほどでした。

しばらくして、主治医が来てくださり、
死亡確認をしました。
この時、看取り介護にしたことを 
少し後悔したんです。
こんなに早く、亡くなるとは思ってもいなくて。
何か処置をすれば、まだ、
生きれたんじゃないかと…
でも、本人にしてみればわからないですが。
ずっと、ポッカリ、穴が開いたようでした。

葬式では、親戚の方や近所の方が
たくさん弔問にきてくださいました。 
母と仲のよかった近所のお友達が
私の顔見るなり号泣されて、
一緒に嗚咽し号泣していました。

何をする気力もわかず、
時間だけが過ぎて行ったような
感じでした。
毎日、仏壇に線香をあげ 
お参りしています。
なぜか近くに感じれるんですよね。

もうすぐ、1周忌という頃、
不思議な夢を見ました。
母が座敷に立っていて、私の名前を呼び
「私、もう行くね」と
泣いていて、私は娘を呼び
「ばあちゃん行くんだって」と泣きながら、
母をギュッとだきしめていました。
夢なのにとても現実的な感覚でした。

1年が過ぎ、ようやく趣味のギターを 
また弾き始めたり、
友だちとランチしたり、推し活したり、
このnoteもはじめました。

 

これで、7年の母の介護記録は  
終わりになります。
noteに書くことで、
忘れていたことや思い違いをしていたこと、 
大変だったこと、楽しかったことを  
思い返すことができました。
ありがとう、note。
そして、読んでいただいた皆様! 感謝です。
 
母との思い出はつきません。
よく娘たちとも話したりします。
また、母のことを思いついたら
書きたいと思います。


15年前の私、母、娘の写真。よく山を散策したり、桜や紅葉を見にドライブに行きました。

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