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人見知りとのお別れ

こんにちは。

msy03さん、画像めちゃくちゃかっこいいので使わせていただきます。

思いついたことを書いていくので
前回記事とのつながりは特にないので承知おきください。

2019年3月2日、僕は武道館にいました。
オードリーのオールナイトニッポン10周年全国ツアーのグッズを
買いたくて並びました。
チケットは、取れなくて川崎のパブリックビューイングで見ました。

凄く笑いました。普段、ふふっとしか笑わないが口を開けて笑っていたので
隣にいた付き合いで来てもらった友達は引いていたかもしれません。

ライブが終わったあと、これまでを振り返りました。
オードリーのオールナイトニッポン(以下、ANN)を聞き始めたのは
2009年頃で毎週聞いて笑っていました。
当時、僕は大学に入っても僕は友達ができず、寂しい思いとこんな奴らと
一緒になってたまるかというおかしなプライドでいっぱいでした。
そんな中オードリーのANNを聞いて若林さんの芸能界になじめない
昔の仲間とばっかりつるんでいしまっているという話を聞きいてすごく共感しました。

若林さんか業界の人かはわからないけれど、そこに「人見知り」という
カテゴライズがついてアメトーークでも特集されるほどでした。
そこから大学でもうまくしゃべれなくても「自分人見知りだから」という
しゃべらないことへの免罪符を与えられた気がしました。

そのカテゴライズはとても心地よかった。自己説明が簡単になって
しゃべっていなくても会話の輪に入っている感じがしました。
同時に同じくらい罪悪感もありました。みんな同じスタートラインで話していいるのに。
でもつまらない会話しゃべった事実をつくるためだけの会話はしたくない。

あーめんどくさい。なんでこんな自分はめんどくさいんだろ。
自身がないくせに、自尊心が高く、自意識過剰なので人とうまくかかわれない。
「人見知り」というカテゴライズはそんなめんどくさいやつも飲み込んだ気がします。

オードリーのANNの武道館ライブを見た後思いました。
こんな大きいなライブでたくさんの人が関わっている中心にいる人が
人見知りなわけがない。そりゃそうだよな。当時学生だった僕は
社会は僕のような人見知りな人間を許容しないことを実感しました。

特に僕が専攻しているような建設の業界は、一人一人のパーソナリティよりも歯車になれるかどうかが重要でで人見知りなんていっている場合じゃない。

だから、自分は人見知りのすがりどことだったオードリーのANNと人見知りという言い訳を卒業しなければならない。
大人になるために大切にしていたパーソルな世界を解体しなければいけない。

こんなところから私は人見知りを自称することとオードリーのANNをやめました。

このあと自分のすがっていたものがなくなり、自意識過剰と自尊心は残り続けます。

また、書きます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。






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