旅のネックはやはりトイレ
※今回は、トイレの話なので、ご飯食べてる時は読まないでね。
昨夜の移動でパーイに到着。チェンマイからミニバンに乗って三時間弱。途中でカーブの続く山道(762箇所のカーブで有名)を抜けてくるので、乗り物酔いがきつい人は厳しいかもしれない。自慢じゃないけど、ぼくはうまれてこのかた乗り物酔いってものを経験したことがない。今回のバス移動も、三時間のうち二時間半はKindleで読書をしていた。マジでなんの自慢にもならんけど、こういう旅の移動でつらい思いをしないのはありがたひ。
パーイでの宿は、中心部からちょっと歩いたとこにあるバンガロータイプのゲストハウス。個室ではあるんだけど、竹をメインに作られた部屋にあるのはベッドだけ。歩くごとにギシギシと音がして小屋が揺れる、心躍る宿である。
東南アジアを旅していると、どうしても直面するのがトイレ問題。チェンマイとかパーイとかはなんだかんだで観光客も多いし、東南アジアの中でもちゃんとしてる方だと思うんだけど、それでも紙がないとか、手桶で水を汲んで自分で流すとか、そういうのは当たり前。もちろん日本基準で考えたらきれいとは言えない。今回の宿も、バンガローが集まったキャンプ場みたいなエリアの中心に共用のトイレ小屋があって、いちいちそこまで行かなきゃならない。夜はかなり暗いのでたいへん怖い。ビビリのぼくは夜明けを待って耐え忍ぶ。ホラー映画じゃないんだから。
不便とか不潔みたいなものは割り切って旅に出ているはずなんだけど、日本の清潔・快適なトイレに慣れきった身体には厳しいものがある。
旅先では、できるだけきれいで快適なトイレを探して、できるだけそこで用を済ますというのは、旅人あるあるじゃないのかな。もちろん、緊急事態では、どのような環境であっても決行する覚悟は必要である。万が一、暴発でもして自尊心をズタボロにされては目も当てられないし、そうでなくても体調を崩して旅を楽しめなくなってはしょうがない。
そして、条件がいいとは言い難い、というかかなり厳しめのトイレしかない時に限って、抜き差しならない状態になりがちというのも、旅人あるあるじゃなかろうか。
チェンマイのバスターミナルはトイレが有料である。長距離移動を前に用を済ませておくのは旅の基本。たったの3バーツ(約10円)ではあるが、ここでお金を取るというやり方はビジネス的には賢いのかも。しかし、いただけないのは有料だからと言って別にきれいなわけではないということ。そして何より、紙が備えつけられていないのである。
入口のところにいるおじさんにお金を払うんだけど、その時に必要なら紙を買う。入場料を払い、紙を買い、そしてあまりきれいでもないトイレ(和式、手桶で流す)で用を済ませなければならないのだ。
この野郎、足元見やがって、てな気分だけど、ぼくのお腹はここで済ませたほうがいいよと言っている。これから耐えなければならないバスの揺れと乗車時間を考えると、ここで意地を張るのは悪手である。それこそ車内での暴発は考えるだに恐ろしい。地獄絵図ではないか。
泣く泣く入場料と紙代を払い、個室へと向かう。床は水浸しだし、荷物を置けるようなスペースもない。きびしいなあー、と無念のため息をつきながら、なんとかかんとか用を済ませた。
この手の厳しさを乗り越えたあとの開放感というか、すがすがしさは何とも言えないものがある。なんとはなしに自分が汚れてしまったような変な恥じらいと共に、もうなんでもできるんじゃないかという無敵感が湧いてくる。冷静に考えれば、トイレで用を足しただけなのだ。イライラした面持ちの若者がトイレから出てくるや、少しの恥じらいと謎の全能感を顔に浮かばせている。たいへん気持ちの悪い光景である。
まあトイレ問題ってのは生理現象由来の問題であって、言うならば「生きてる証」である。旅先の不便を通じて、「生きてる」ってことを強烈に感じる。だからこその爽快感なのではないか。
何を言ってんねん、って感じになってしまった。
まあ、たいへんだけど、だからこそ、ってこともあるよねえ、というお話でした。