【41歳まで親の脛かじり】鈴木エイト氏の正体②【赤飯】
安倍元総理の不幸で突如としてメディアに登場した鈴木エイトこと本名、田中清史氏(55歳)
メディア露出前の田中清史氏は一体どのような人生を送っていた人物なのか?
鈴木エイトこと田中清史(きよふみ)氏は、日大経済学部卒業後、41歳まで定職に就かず、嫁のヒモ・親の不労所得で暮らしていたようです。41歳でサブカルブログサイト『やや日刊カルト新聞』に就職()した時には親御さんは「うちの子どもが記者になったんですよ」と喜びご近所に赤飯を配ったとか…(涙)
41歳まで定職に就かずやっていたことといえば統一教会一掃のパトロール活動と、そのパトロール活動を個人ブログに綴る日々
勿論、そんなことで一銭の収入が得られるはずもなく、生活の面倒をみていたのは奥さんと親御さんのようです(涙)
田中清史氏は、統一教会一掃のパトロールをするうちに次第に脱会屋と呼ばれるグループのパシリをするようになりました。
脱会屋とは、反統一教会の左翼弁護士と所謂”西早稲田”の親北反日キリスト教牧師らが組み、脱会屋に1件300〜400万円の報酬を支払い統一教会信者を拉致監禁し脱会させるビジネスグループのようです。
この脱会屋への報酬300〜400万円はキチンと税務申告しているのでしょうか?
その左翼弁護士と脱会屋と組み、統一教会の信者宅に弁護士が作成した手紙を運ぶのが鈴木エイトこと田中清史氏の仕事だったようです。人呼んで「脱会屋のパシリ」「監禁屋のパシリ」という異名まで付いていたとか…
パトロール活動中に信者宅まで尾行し住所を探っていた田中清史氏にとって信者宅に手紙を運ぶのは趣味と実益をかねた一石二鳥です。
実益!そうこの手紙を届けることで清史氏は脱会屋からお駄賃を貰っていたようです。1件10万円という噂もありますが真偽の程は??
無収入で嫁のヒモ・親の不労所得で日がな一日、統一教会信者をストーカーし平日の午後に趣味のフットサルをして暮らしていた清史氏によってこれ以上、一石二鳥のおいしい話はないのではないでしょうか。
てか、こちらも税務申告をしていたのか気になるところです。
この頃の清史氏の片書きは「ジャーナリスト/作家」ではなく「ANTI CULT ACTIVISTエイト」。手作り名刺には住所・電話番号・連絡先の記載は一切なく「ANTI CULT ACTIVISTエイト」とだけ書かれていたとか…
ANTI CULT ACTIVISTって何なん?
鈴木エイトこと田中清史氏が齢41で就職()したという『やや日刊カルト新聞』ですが、新聞とは名ばかりの個人ブロガーが集まり作っただけのサブカルブログです。藤倉善郎氏や鈴木エイト氏が取材と称する行為も、おちょくり・おふざけ・からかい・煽り、遊び半分なのが実態です。
41歳まで定職に就かなかった、仕事が長続きしなかった鈴木エイトこと田中清史氏が『やや日刊カルト新聞』だけ14年も続いているのは仕事()内容がおふざけの遊びだからです。
就職()した『やや日刊カルト新聞』でも給料は発生しなかったようです。そらただのブログですからね。
日がな一日遊んで暮らしていた41歳の息子がやっと就職、しかも「新聞社」だと聞かされ喜び「うちの子どもが記者になったんですよ」とご近所に赤飯を配った親御さんのエピソードを聞いて不憫でならないのは私だけでしょうか…(涙)
一流ジャーナリストになる前の鈴木エイトこと田中清史氏(55歳)は、過去には日大経済学部卒の経歴を「法学部卒」と騙ったり、職業も「学者・ANTI CULT ACTIVIST」名前も「田中エイト・鈴木衞人・ANTI CULT ACTIVISTエイト」など、その時々で変えていたようです。
鈴木エイトこと田中清史氏が反統一教会を始めた動機はお姉さんが統一教会信者だったからです。清史氏からは非常に強い統一教会への恨み・憎しみ、執念とまで言える程の感情が窺えます。
でも、正体を隠し平気で嘘を付いている清史氏の言動は過去・今現在含め、清史氏が非難する統一教会の正体隠しの勧誘・教義のマヤカシとどこが違うのか第三者の私には違いがさっぱり分かりません。
鈴木エイトこと田中清史氏、貴方のいい加減な嘘・事実無根のでっち上げ・世間への欺き、貴方の言動は貴方が非難する統一教会と同じですよ!!!
過去の鈴木エイトこと田中清史氏を知りたい方はこちらのブログ↓を参考になさってください。
あと10年をポジティブに生きる記録ルポライター米本和広blog
「監禁派のパシリと化したエイト君」