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あなたの言う「普通」なんて

いや、ここ車道だよ。

青信号の私の車の前で、突然渡ろうとして立ち止まった歩行者。自分のタイミングで渡れないからって、あんな被害者面されても困るんだけど。

逆になんで渡れると思ったんだろう?横断歩道じゃないし、歩行者優先というルールはあるけれど、それは横断歩道の話だよね。

「普通渡らせるでしょ~」とか思ってるのかな。そういう自己都合の強さ、私はどうにも苦手だ。

自己都合といえば、私が嫌いなおじさんという生き物も、だいたい自己視点が強い気がする。

「普通」って言葉、好きだよね。「普通こうするでしょ」とか「普通こうだよな」とか。でも、その「普通」って、あなた基準でしょ?

なんでそれをこちらに押し付けるのか、本当に理解できない。「普通」を多用する人を見ると、「私は狭い世界しか知らない人です」と周囲にアピールしてるように感じる。どことなく浅はかに見えるし、私は人との会話で「普通」なんて言葉はなるべく使わないようにしている。


「また嫌なおじさんを論破してしまった!」


現実では、わざわざ自分の時間や声を使ってまで議論する気にはなれないから、頭の中だけで言いたい放題にして満足している自分がいる。

本当は本人の目の前で言ってみたい気持ちもあるけど、まあいいや。頭の中くらい自由でいたい。


ふと、耳に入るトラックやトレーラーの音。やっぱりすごく大きいな。あんなタイヤに巻き込まれたら、一瞬でグチャっと潰れてしまうんだろう。想像するだけでゾワッとする。

でも、この道が普通に機能しているのは、みんなが交通ルールを守っているからだよね。そんな当たり前のことに気づいて、ちょっとだけ「ありがたいな」と思った。

あ、こちらの車線に入りたいんだね。どうぞどうぞ――と思ったら、ウインカーを出さないタイプの人だったのか。そりゃどうも。

自分がウインカーを出されずに前に入られたら、この人たちはどう思うんだろう。きっと普通に怒るんだろうな。


乱暴な運転をする人を見ると、私生活が満たされていないのかなと勝手に想像してしまう。そしておじさんが多い気がしている。偏見である。

もちろん、運転の癖や習慣もあるんだろうけど、「勝ちたい」という気持ちがどこかにあるのかもしれない。

「早く走れてる俺、気持ちいい」とか
「あいつに勝った俺、すごい」とか。

そんな小さな勝利感で満足しているのだろうと思うと、なんだかくだらないなと感じる。


結局、そういう人たちは
他で負けているんだと思う。

人間だから仕方ないとは思うけど、猿山みたいに他者を使って気分良くなっている姿は、どうしてもカッコ悪く見えてしまう。

とはいえ、自分に余裕がなくなったとき、私もあんなふうにみっともないことをしてしまうのかもしれない。

だから気をつける。みっともないことはできるだけ避けたい。だって、道路の上で勝つとか負けるとか、そんなこと、ほんとに意味ないから。

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