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女性にみる「粘り強さ」という美学


樹木希林さんの考え方や言葉が好きである。
最近亡くなってからは希林さん関連の本が沢山出版されているので、嬉しく拝読している。

ちなみに希林さんの言葉で一番好きなものは
「分別がつくようになったら結婚なんてできないから、分別がつかないうちにしちゃうのが良いのよ」
この言葉を聞いたのは確か結婚4年目くらいの、離婚しようか悩んでいた時。
その時、思ったのだ。
「きっと私はまだ分別がつくほど成熟していないから悩んでいるのだ。悩むくらいなら、今のままでもうしばらく居てみよう。分別がついたら、きっとハッキリ答えが出るだろう」

希林さんのこの言葉を聞かなかったら、私は今一人でいて、昨夜の夫のおいしいパスタを食べることも無かったかもしれない。

さて、ここからが本題。
今読んでいる希林さんの本でこんな一説があった。
『やっぱり世の家庭が崩壊しないのは、女性の粘り強さですよ。女が土台となって【始】という漢字になる。全ての始まりの土台を作るのが女だからね。』

う~ん、なんて深い。
やれ男女平等だ!やれ女性進出だ!と叫ばれている現代だけれど、悲しいかな、この言葉はとても的を得ている気がするのである。

ちなみに「粘り強さ」という言葉は、「我慢」とは違う。「我慢」はひたすら希望もなく身を固くして耐え忍んでいる印象だけど、
「粘り強さ」は現状を受け入れて、でも希望的に根気強く何かに向かっている印象だ。

女は男の諸々をまるっと受け入れて、なんとか良い形にしようと努力をしている気がする。
時に涙したりすることもあるけれど、基本的には笑顔で、しなやかに、そうしている気がするのだ。

私の周りの夫婦間がうまく行っている妻たちは実際そうである。
精神的にも物理的にも、夫に何かを求めていない。ひたすら夫の全てを受け入れて。日々自分に出来ることを粛々と行っている。
それが結局のところ、お互いへの愛に繋がっているように見えるのだ。

これは一つの美学だと思う。

そんなことを考えながら、今日も私は夫の脱ぎ捨てた靴下をせっせと洗濯カゴに入れるのである。
これも粘り強さと言えるかしら?

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