見出し画像

三浦コウさん ピアノリサイタル "SONGS"ツアー at MUSICASA

一介のピアノ講師による、個人的主観満載レポートです。軽く読み流して頂ける方のみご覧くださいませ。
理由あってTwitterでのお知らせは自粛いたします。

2023年5月4日(木㊗️) 19:00~
場所は代々木上原「MUSICASA」

■MUSICASA ~ムジカーザ~

何度かお邪魔しているムジカーザは、コンクリート打ちのスタイリッシュな空間。1階と2階で、音の残響の聴こえ方が全く違うのが特徴。
体制が変わっていなければ、井上道義マエストロの奥様が経営されているはず。音楽家の手掛けるサロンというのは、主催者側にも聴き手側にも安心感を与えてくれる。
耳に優しいピアノであることは知っていたので、今回は最前列の、コウさんの表情がよく見える席を選んだ。

表情とペダリングのガン見席

■プログラム&レビュー

全曲オリジナルのプログラム。
一度これをやってほしかった。
この度めでたく発売となった、2ndアルバム"SONGS"を弾き切るリサイタル。だからアンコールは無し。
いい!その筋が強く通った感じ!

オリジナル曲でもって一本のリサイタルを成立させるピアニストさん。何度も言うけれども、他に類を見ない。
久石譲さんや村松崇継さんは、音楽家ではあるけれどもピアニストではない。ピアノ技術の鍛錬に心血を注ぎつつ、オリジナルを作って弾いて世に出していくというのは、三浦コウさんならではの仕事であり、とても価値の高いことと言える。

■プログラム
~ 第1部 ~
優しさ
想い
風の便り
You & I
love is
しゅわしゅわ

~ 第2部 ~

6℃
Dirty
song
深緋色
生きる

過去に何度か曲のレビューは重ねてきたため、今回は初演である6曲に絞って書いてみたい。
2ndアルバム"SONGS"に収められている新曲たちだ。

love is

「小文字だな…」
曲名が発表されて、まずここに意識が向いた。lを大文字のLにするのもありだろうが、あえての小文字。きっと何か意味がある。
いつかそれを教えてもらいたい気もするし、ここはあえて聞かないのがスマートな気もする。
そして、こんな考察を重ねつつ、実は特に意味はなかった、なんてオチが付くこともあるかも知れない。だから人生って面白い。

この曲はとってもジャジー。
拍感と抜け感がゆらゆらと交錯するイメージで、空間がたちまち大人の雰囲気になっていく。
聴き始めてすぐに、「赤いチャンチャンコを着る年齢になったコウさんなら、この曲をどのように演奏するだろう?」と考えた。
人生の酸いも甘いも吸収しまくったコウさん。たぶん今とはアプローチが全く違うはずで、遠い未来の大きな楽しみを発掘した喜びに包まれた。これは絶対に長生きして、リサイタルに足を運ばなければならない。

しゅわしゅわ

この曲がやたら脳内に残り、終演後の帰り道にずっと鼻歌で歌っていた。
ブルースがベースにあるとのこと。ピアノに向かうコウさんの前髪が、リズムに合わせて小刻みに揺れていた。
サビのメロディーの半音進行、随所に入るグリッサンドがめちゃくちゃカッコいい。
そして、以前コウさんが投稿された、この写真が頭に浮かんできた。

三浦コウさんTwitterより拝借🙇

たしか、この写真から曲を作るとして、それがメロンソーダだったり、気泡だったり、流れる時間だったり、人それぞれ捉え方が違う…というお話だった。
コウさんが「芸術って面白い」と結んでおられて、なんて感性豊かな投稿をなさるんだ…と思った記憶がある。
この写真を思い浮かべながら、是非アルバムの"しゅわしゅわ"をお聴き頂きたい。きっと感想も人それぞれ。

6℃

私たちはいつもタイトルを先に知るので、その言葉からマジカルバナナ的に曲調を予想する。
長野の6℃→6℃といったら寒い→寒いといったら北風→北風といったらコート→コートといったら長い→長いといったら冬→冬といったら6℃…
結果、脳内は短調に支配される。
しかし、実際にコウさんから紡がれた音はG・ト長調。えぇーーーっ!!
そしてこの音型。ショパンのエチュード Op.25-1 エオリアン・ハープを彷彿とさせる。いつかコウさんの演奏で聴いてみたい曲のひとつだったので、オリジナルでそのテイストを味わえたことに感動した。
メロディーを形作る4分音符の中に、キラキラとしたアルペジオが散りばめられている。耳にとっても心地好い。が、これを美しく弾きこなすのは鬼のように難しい。
中盤の転調からのコーダ、これ以上詳しくは書かないが、凄まじいクオリティの楽曲となっている。コウさんはすげぇ音楽家だ。(語彙力)

[参考] ショパン エチュード Op.25-1

Dirty

これは大文字で始まっている。
規則性はなんだ?もはや気分は名探偵コナン。

この曲は世の汚いもの、心の中の汚いものを表現していて…と説明を終えたコウさんが、演奏に入ろうとした瞬間、かわいらしい男の子の観客さんがブシュンと鼻をかんだ。まさにDirtyじゃないか!と笑ってしまった。コウさんもやっぱり笑ってしまい、そんなLIVE感を楽しまれているようだった。

自由度の高い洗練された楽曲で、目まぐるしく転調する。心の中にある、あちこちの蓋がガタガタと動いてくるような感覚がした。
そして最後、結びの和音が印象的。Dirtyな世界の天窓から光が射し込むかのような美しい和音だ。聴き終えて思わず「ほぉぉぉ…」と変な声をあげてしまった。
"SONGS"は"COLORS"と全く毛色の違うアルバムに仕上がっていることを実感して、続く2曲への期待感でいっぱいになった。

song

今度は小文字だ。
規則性はやっぱりわからない。

「今回は歌っています………僕が。」
なんですって~!?観客が一斉にどよめき、大拍手が起こった。
今日は歌わないのだろうかと、キョロキョロとマイクのセッティングなど確認してしまったが、リサイタルはピアノソロ。

冒頭でもうやられた。心に迫ってくる3音。ずるい。
帰宅してすぐ、歌バージョンを聴いた。再びやられた。ヤバい。泣いた。
コウさんの声はメロディーをストレートに伝えてくる。声楽の専門技術的なことはわからないが、心のそばに届く声であることは確かだ。コウさんのピアノと同じだと思った。

コロナ禍以降、私は4年ほど実家に帰れておらず、その寂しさをピアノを弾くことで癒してきた。「故郷」をテーマに作られた、グリーグやマクダウェルの作品が特に好きだ。
そこへこのコウさんの"song"のメロディーと歌詞。ずるい。ヤバい。(語彙力)
ずるいとヤバいしか言えないが、とにかく聴いてみて頂きたい。

生きる

アルバムの最後を飾る名曲。
「生きる」という、この世で一番重たいと思われるタイトルをものともしない、コウさんのストレートな表現が心地好い。
私たちが子どもの頃から慣れ親しんだ数種の長調でもって、人生観が表されている。緩やかでありながら、トントンと背中でリズムを刻む子守歌・応援歌のような雰囲気もある。
もちろんメッセージ性に溢れているため、歌詞を付けたくなりそうだが、この曲については聴き手がそれぞれの人生を心の中で投影して、歌詞を紡いでいくのが良いのかも知れない。
生演奏を聴きながら、コウさんがピアノと出会って下さったこと、こうして私たちの前に曲や音を届けて下さること、全てに感謝の思いでいっぱいになった。

■まとめ

私にはあちこち地方まで遠征できるほどの余力がなく、全てのリサイタルを見ているわけではないが、一昨年より昨年、昨年より今年と、コウさんの着実な進化を感じることができた。
一昨年のリサイタルには無かった、場を引っ張っていく心意気のようなものを感じるようにもなった。
昨年から始められた「ツアー」の影響が大きいのかも知れない。ツアーは全国各地の方々との約束であり、その約束の日に合わせて準備をし、体調を整え、足を運び、実際に演奏する。そしてそれを繰り返す。
演奏そのものよりも、付随するタスクに忙殺されるはずで、ピアニスト以前に、人間そのものとしての戦闘力(←他に相応しい言葉が見つからない)が格段にアップしたのだと思われる。

そんな経験を経たコウさんだからこそ、2ndアルバムの"SONGS"も、ある意味ご自身を追い込む形で作ることができたのだろう。

心身に余裕を持って、じっくり作るから良い物ができるとは限らない。ピアノ演奏や書道なんかも同じで、何度か練習して手が馴染んだ物よりも、限られた時間内でのファーストテイクのほうがやけに魅力的だったりする。
"SONGS"は、そんな生き生きとした即興性が感じられるアルバムに仕上がったのではないだろうか。

リサイタル終演後の、コウさんのさっぱりした表情が印象的だった。無事に"SONGS"を世に送り出せたこと、本当におめでとうございます。

■これから

↓2ndアルバム"SONGS"クロスフェード

概要欄から、今後のツアーの情報も知ることができる。私もどこか地方に遠征できればと、鋭意調整中だ。
10月8日(日)には、オペラシティでのリサイタルが控える。
こちらは既にチケットを入手しており、ベートーヴェンの悲愴ソナタが聴けるプログラムを心から楽しみにしている。「未発表曲」の文字も気になるところ。

いい笑顔(^^)

■最後に

最後に、毎回私がコウさんのリサイタルのレポートを書く理由を記しておきたい。

レポートを書き上げて、それをTwitterでお知らせすると、嫌な思いをすることがある。
何か気に入らない方もいるのだろうが、私は負けない。やめない。書き続ける。

理由は二つある。

□後世の人に読んでほしい

コウさんの音楽は、必ず後の世に残る。
いつか、まだ生まれてもいないであろう人がコウさんの音楽に触れた時、「なんじゃこの素晴らしいピアノ音楽は!」と衝撃を受けることが必ずあるはずなのだ。かつての私がそうであったように。
「三浦コウ」を調べていくうちに、リサイタルの臨場感や、コウさんのお人柄に触れる記事に出会ってほしいと願っている。
音源はCDやYouTubeに残り、聴けば曲の素晴らしさはわかるが、リサイタルの生の臨場感は、その場にいた人間にしかわからない。
「三浦コウはこんなリサイタルをする人だったんだ」ということを、文章という形で世に残しておきたいのだ。

□返歌

短歌には「返歌」というものがある。
私にとってレポートを書くということは、コウさんの詠んだ短歌(リサイタル)に対しての返歌(お礼)のような位置付けだ。
もらった恩義は返す。日本人だもの。
素晴らしいリサイタルを魅せて頂いたのだから、ましてやコウさんはその楽曲を生み出している人なのだから、「素敵でした」「素晴らしかったです」だけで終わらせたくない。チケット代だけでは安くて足りない。何がどう素晴らしかったのか、時間と労力を使って詳しく記しておきたいのだ。
これはもう、自分の中のひとつの美学のようなもの。他の人がどう思うかなんて関係ない。

というわけで…
個人的主観満載の記事、最後までお読み頂きありがとうございました。

三浦コウさん

プロフィール

オフィシャルサイト