(感想)マギレコ2部10章:杏子ーももこライン
はじめまして、sayopiaと申します。普段はマギアレコードのオタクをやっています。
このnoteでは、マギレコやまどマギ、その他アニメや映画、本などで自分の感じたことや考えたことをゆるーくメモ代わりに書いていこうと思っています。
よろしくお願いします。
*サムネイルが寂しいのは許して下さい、ももみた持ってないし、PCなのでスクショも上手くいかないんです、、
先日、といっても結構前になるけれど、『マギアレコード 魔法少女まどかマギカ外伝』のメインストーリー第2部10章「疾走ドラスティックラバー」が公開された。本記事は忘れないうちに、ごく簡単に初見時の感想を記すものである。当然ネタバレを含むので、未読の方は注意されたい。
今回も様々な展開があり話題は尽きないのだが、全体に言及できるほど整理できていないので、10章3話に絞って書いていこうと思う。10章3話は一言でいってしまえば「闇堕ち十七みたを救出する回」である。ダーク十七夜さんがNierのキャラかと思ってしまったのは内緒。
さて、10章3話で個人的に一番印象に残った台詞は十咎ももこが十七みたを説得する場面である。引用すると、
の部分で不覚にも少し泣いてしまった。というのも、私は『まどマギ』では杏子が一番好きなキャラクターで、不思議と彼女の台詞がフラッシュバックしてしまったからだ。ここは一応マギレコ時空ということで、アニメ版2nd SEASON1話の台詞を引用しよう。
さやかの回想で一瞬挟まれる台詞だが、非常に重要である。「対価としては高すぎるもんを支払っちまった」さやかに対して、魔法少女であることの孤独と、それ故に生まれる絆を杏子なりに精一杯表現している。同じ火属性魔法少女であること、魔法少女同士でしか分かり合えないことを強調する発言から、私には(ストーリー上の接点はほぼ無いにも関わらず)杏子とももこの台詞がダブって見えたのである。さらに最終的にさやかと「一緒にいてやる」ことを選択した杏子と同様、ももこもまた「そう、本当に滅びるときになったらさ アタシも一緒になってあがくからさ」とみたまに呼びかける点までも一致しているのである。
しかしももこの台詞は単に杏子の台詞を反復している訳ではない。どういうことか。
ここで、まどマギおよびアニメ版マギレコでは中景=社会がほとんど描かれず、それ故に魔法少女同士の連帯がある意味とても綺麗に描写されていたことに注意が必要である。もちろん『まどマギ』においてもまどかの家族や杏子の父親の教会が描写されるが、やはり全体としてはきわめて記号的に描かれている。同様に『マギレコ』アニメ版においても基本的には魔法少女の話のみに焦点が合わせられており、きわめて意地の悪い書き方をすれば「個人的な話の集合」と捉えられてしまうかもしれない。魔法少女をきわめて特殊な存在――灰色革命的に言えば「ずるい」存在――として位置付ける、社会と魔法少女を二分するような想像力が根底には流れている。
他方で、マギアレコード2部を通して私たちが見てきたのは、魔法少女と社会が二分されるような構造ではなく、むしろ階層構造になっているからこそ生じる問題――代表的なのは神浜の東西問題や日の本のために戦いを強いられてきた時女一族の問題――である。アナザーストーリー2部8章での八雲みたまの
という台詞に象徴的である。みたまは妹のみかげまでも東西問題により苦しみ続けること、自分の願いは今も動き続けていることを知り、その帰結として「神浜を滅ぼす存在」になりなおすことを決意する。
以上の文脈を踏まえると、ももこの台詞は杏子の台詞を単になぞっているだけではなく、中景=社会のどうしようもない階層構造とその重みを受け止めた、一周回った上での発言だと整理出来る。魔法少女であるという事実だけで連帯するのは、現実には難しい。彼女たちは魔法少女であるまえに少女であり、「大人の事情」にどうしたって左右されてしまう。社会は自分たちの想像よりもはるかに醜く、とても守るに値しないかもしれない。それでも、だからこそ、再び魔法少女であることから、同じ痛みを分かち合う者として、始めなければいけないのだ。
そしてこの視点は『マギレコ』をどう受容するかという「私たち」の問題にも繋げられるかもしれない。魔法少女を特殊な存在として位置付けてきた『まどマギ』では、私たちは彼女たちをあくまで自分たちから遠く離れた虚構の存在として考えるしかなかった。もちろん大いに感情移入してきたからこそ今もこの作品群と付き合っているわけだが、少なくとも自分はまどかやほむらが「本当に存在するとは」思っていなかった。どこまでいっても彼女たちは手の届かない存在であった。
しかし『マギレコ』のももこの台詞を受けて、逆説的に私たちは魔法少女を特殊な存在、虚構の作品世界に限定される存在と捉える視点から解放される。私には、どこかの街――自分が暮らすこの街かもしれない――で「本当に」魔法少女が存在するようにさえ思われてしまう。そしてこの地点において、魔法少女を現実世界の私たちの似姿として捉える回路が開ける。もちろん実際に私たちの目の前にキュウべえが現れることはないのだが、何か切実にかなえたいものを願い、そしてその後もどうしようもない社会の中で生きていくという構図はきわめて現実世界の私たちに近い。虚構を虚構として受容する態度は重要だし尊重されるべきだとも思うが、個人的にはやはり「この」現実世界を生きていくヒントのような何かを持ち帰らせてくれる作品―マギアレコード―も同じくらい好きなのである。
十七みたはまだ完全には救えていないし(なんならこの後の方が心配ではある)、他にも八雲みかげや天音姉妹、煌里ひかる27歳無職の話など、色々書きたいことはあるのだけれど、とりあえずももこ周りで私が書きたかった話は以上である。十七みたを救う方法がネット署名とインフルエンサー頼みなのはいかがなものかという話もあるけれど、それはまた別の機会に。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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