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山なみが透ける 長野滞在記1

遠くに来るたび、空が違うと思う。
遠距離恋愛の恋人どうしなんかが使うであろうありふれたクリシェで「同じ空で繋がっている」と言うが、場所が変われば空の色も深さもずいぶん変わるものだとわたしは感じる。

自宅のある金沢から車で4時間ほどかけて父方の祖母がひとりで暮らす長野にやってきた。
四方を山に囲まれた長野の空は、金沢とも東京とも違う景色に見て取れる。
就職と同時に東京を出て4年、名古屋東京間や金沢東京間を月1かそれ以上の頻度で往復しつづけてきたので長野なんてほんとうはそれほど遠くない。それでも心の距離があるからだろうか、「ああ遠くに来たな」としみじみ思う。

祖母は50代だか60代だか、わたしが生まれる前に交通事故で半身不随になったが、長野のやや田舎のエリアに家を建てて90を過ぎたいまに至るまでずっとひとりで暮らす人だ。祖母の息子たる父とわたしの母はもう20年も前に離婚し、わたしは母と母方の祖父母に育てられた。
父とは数年に1度連絡を取るか取らないかという程度の交渉しかないので、生物学上はもちろん父親ではあるのだが実際のところはうっすら知っているおじさん程度の認識でしかない。しかしわたしは妙にこだわりの強いところややたらと夜ふかしでとにかく朝に弱い体質など細かいところがどうにも父似で、ほとんど連絡を取っていないのに会って話すとおそろしいほど話が合うのでそのたび呪いのように血のつながりを感じ取る。
自分の人生においてわたしをなかったことにしている(ようにしか見えない)父のことをわたしはほとんど蔑んでいるが、会って話すとたしかにわたしの何割かはこの男の要素で構成されていることが理解でき、だからわたしは血縁が憎い。

祖母の家は住所こそわかれど外観をまったく知らなかったので車でそれらしい家の前にたどり着いてもどうしたらいいかわからなかった。答え合わせをしようと祖母に電話をしてみたが出なかった。ままよとそれらしき家の駐車場に車を停めて玄関へ行くと、雪国らしく二重になった玄関の外ガラスに祖母と父の名前が祖母の字で書かれた紙が貼られており、ここが本当に祖母の家らしいとわかる。
この時点で妙に感慨深くなった。
知らない家だが、わたしに関係のある家だ。この家で暮らしたことのない父親の名前が並ぶ紙の表札に、わたしが知らない父と祖母の物語が匂い立つ。

インターホンを押すと中から返事が聞こえた。玄関のドアを開けると、記憶よりずいぶん腰の曲がった祖母が立っていた。
反射的に祖母をきつく抱きしめる。
乾いた薄い肌とその内側に張り巡らされた骨を感じる、木の幹のような身体。いくつもの年月が重ねられ、重力に勝てなくなりつつある身体だった。とっさに涙がこみ上げてきたが、わたしはそれをこぼさないように力を入れた。

「雨季ちゃんが来るって言ってたから紅茶を買っていたのに、とっくに賞味期限が切れちゃった」
今回の訪問は5年越しの実現だった。2020年3月に計画していた旅は新型コロナの流行によって直前で潰え、それきり延ばし延ばしになっていた。わたしが愛していない父を愛する祖母は、わたしを育てたわたしの母と母方の祖父母のことを必ずしも良くは思っておらず、なんの屈託もなくケロリと悪口を言う。若く繊細な学生のわたしはわたしを愛する祖母には会いたいと思いつつ、わたしが作られるうえでかなり大きな要素であった母方の家族を悪く言われるたびにそれなりに傷ついており、そのため物理的な距離のハードル以上に覚悟が必要だった。
しかし平均寿命を5年も超えた祖母の年齢もあったし、会社員も4年目になって車もすいすい運転できるようになってなおかつそれなりに他人の言葉を聞き流せるようになったわたしにはもう今年の訪問を阻むものはなにもなかった。車をメンテナンスに出し、ひとりの長距離ドライブを飽きずにやりきるためのAudibleを契約し、祖母の好きな銀座ウエストの菓子折を持って大雪予報の北陸から長野へと走り、ついに対面に至ったのだった。

母づてになんとなくは聞いていたが、祖母の暮らす家はとにかくものが多かった。
レースのカーテンからやわらかな冬の陽が差し込むリビングのちゃぶ台はものというもので占められ、キッチンの床にも棚にも所狭しとものが散りばめられている。しかし不思議と散乱している印象はなかった。秩序があり、清潔な乱立だった。
灯油によって全館空調がなされているという家はどこもふんわりとあたたかく、まさにここは祖母の住むらしいと思う。父の部屋として用意されたが本来の用途で使われることのない客間に通されるとそこには本棚とローテーブルのみがあり、ふたりで茶を飲みながら話をした。何年も会わず、電話も数えるほどしかしなかった6年ほどの空隙を他愛もない会話で埋めていく。他愛もない会話というのは立派なもので、話の内容自体はほとんど記憶に残らないのだがことばを交わすその時間にたしかに愛着が形成される。わたしは特に人との会話を覚えていないたちなのでなにを話したかはすでに覚えていないが、ひだまりと緑茶と時間そのものの温度がいまも身体にじわりと熱を持たせている。

話をしているあいだにあっというまに日が落ちた。半身不随なのでもともと左耳が聞こえず、さらにかなり耳の遠くなった祖母との会話はふだんの声量からすると叫んでいるに近い実感があったので身体としては疲れたが、頭のしゃっきりした左翼の祖母との話は非常になめらかで違和感がなく、親しい友人と話をするように軽やかに時間が過ぎていった。
夕ぐれを感じると、祖母はわたしに風呂へ入りにいくようにすすめた。
近くの山の上に温泉があり、この時間が空いているのだという。週2回のデイサービスで介助を受けながらの入浴しかしない祖母は冬の浴室を冷蔵庫代わりに使っており、食材をどかしてまで家の風呂に入る気は起きなかったしなによりわたしは銭湯や大浴場が好きなので素直に温泉まで行くことにした。

祖母の家から車で10分もかからないところにある温泉は平日の夕食前とは思えないほど人がいてその人びとがまた若く見え、ここでもまた「長野は北陸とは違うな」と声を出さずつぶやく。金沢のスーパー銭湯もたいがい盛況だが、長野市からもやや外れた郊外でこれほど人がいてしかも年齢層が若いというのは北陸ではあまり見かけないにぎやかな田舎だった。
ぼんやり他人を意識しながらささと身体を流し、湯に浸かる。
身体の輪郭がわからなくなるほどぬるくはないが、血がのぼるほど熱くもない。熱い湯が苦手で、長く入るとすぐ立ちくらみでぐちゃぐちゃになってしまうわたしにはちょうどよい好きな風呂だと思った。ほどよくあたたまったところで露天風呂に行くと一桁台であろう気温の冷たさが肌の表面を過ぎ去り、湯気が走る水面に身体を沈める。
山々のあいまの平地に広がる街がよく見え、街灯と車の往来がきらきらと人の営みを示していた。
風呂は山の中腹にあるので、街の手前にすぐそばに山の上が見える。山は人の営みから離れて暗く、山なみには枯れた木々の輪郭が残光に透けていた。夕方のあとだが夜というには手前の時間帯で、空は青よりも深い藍色だった。昼間のニュートラルな水色よりぐっとトーンは落ちるが、昼間よりいさぎよく、昼間より大気の層の距離を感じさせる。肉眼ではどこでどう色が移り変わっているのかさっぱりわからない青と紺と藍の繊細なグラデーションは深く深く、しかしどこまでも透けて果てがない。名付けようのない、あるいは名付けという人為の外にあると思わせる空のあいまいな色がわたしはどんな色より美しいと感じる。太陽が地平の近くにある明け方と夕方は毎分刻々と空の色が変わっていき、いつ見てもどれほど見てもそのたび新鮮にその美しさに心がざわめく。


わたしは芸術を愛していて芸術に生かされているけれども、人の手がどうしたって到達できない美しさがそこにはあるように感じてしまう。文章を書いていても写真を撮っていても、なんなら人としても、視界の広がるかぎりいっぱいに陽の光の予感や余韻を広げて映す空と同質でありたいと思ってしまう。人を信じられないわたしが唯一信じる芸術という人の営みの深さと可能性を否定するような感動であるとうっすら思うが、それでもわたしは感動することをやめられない。やめようと思ってもやめられない心の動きがあるからこうして文章を書くことができるのかもしれないともたまに思う。

遠く深い青を透かす山なみの枝は冬だから細密画のように濃密に枝のなりゆきが見えるのか、はたまた夏の葉が茂る時期にもわかるほど枝は葉に埋もれずにしっかりと張っているのか、山にも木々にもそれほど記憶の蓄積がないわたしにはわからない。黙ったまま湯船につかりじっと山なみの模様を見ていたら空ははっきりと濃く漆黒へと傾いていき、やがて夜が来る。
長野の夜は思っていたよりずっと街が明るく、しかし夜空を照らしきるほどは明るくない。いつもよりずっと近くに見える山々の頂に白い雪が光り、ここはわたしの知らない土地だと気がつく。


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