いまさらな話
アウトプットといえば聞こえがいいが、またもや言ってどうするを吐き出させてもらう。
そう長い話にはならない。140字では語りきれないだけだ。140字って長いようで短いよな。他人と関わるにはそう深い話もできないくらいがちょうどよかったんだろうな。
祖母の施設入所が決まった。悪い話ではないが、手放しで喜べるかといえば実際のところそうでもない。わたしはそれでも幸せだと認識しているが、母とその妹であるところの叔母、つまるところ実子2人娘は、自分の母親を捨てるようで心苦しくあるようだ。
気持ちはわかる。わか…る。慮れる。だけど、初めに一緒に暮らしていくことに音を上げたのは叔母だ。母は初めから家で見てあげたかったが、ひとりではまず無理だった。器用な人ではないし、そもそも家族の資金から祖母と母のための家賃から生活を支えられるほどの余裕はそう長くは続けられない。
終わりがわかっていればそれも可能だったろうけど、あと何十年も自分達とは別の家まで養うのは人を迎え入れて養うより難易度が高い。月給とはそうそう上がるものでもないのだ。私事で残業して残業代を稼ぐこともコンプラ的にアウトだ。わたしに至っては副業は認められていない。
実家の廊下で正座して、父母兄私で口座を一つ作ってみんなで貯金していって、難しくなったらそこを切り崩すのはどうかなどと提案するも、それで間に合ってる期間内で祖父母の人生が終わるか問題はつきまとう。命が先かお金が先か。尽きるのがどっちか?という賭けはなかなか難しい。
介護に参った妹の声を汲み取り、家族の人生巻き添えに介護に踏み切れなかった母は、祖母の施設を決めた。コロナ禍でなければもっと快く送り出せたことだろう。このご時世では入所を最後に面会はいつになるかもわからない。どこの施設でも同じだ。仮に面会OKの施設を選んでも、今度はコロナのリスクが高いだけだ。どっちもどっち。
母が祖母の入所を決めたと言ったが、この決断をわたしは後押ししたし、それはわたしの家族も叔母も同じだ。これで祖母が捨てられたとか帰りたいとか言った時、その責めを負うのは母だけにするつもりはない。病もうものならこれが最善だと何度でも唱える所存だ。思い込みなんかじゃない。まじでできる範囲でこれが最善だった。考えられることはもう散々考えた。捻出できる費用、移動できる距離、ケアする側の体力と生活。
祖母を介護し終わった、その後の生活。母にとって祖母がそうであるように、わたしにとっても母のその後の人生はそれなりに心配なのだ。振り返った人生が、介護の記憶で埋まって棺桶に入るつもりなら、阻止したい。
世話をね、焼いてあげたい気持ちはわかる。長いこと夫婦2人きりにした心残りが実子である2人娘にはあるようだ。だけど今更なにをという冷たいわたしがいる。
いつか書いた通り、わたしは上京後毎週祖父母のところへ顔を出していた。だれよりも早く祖母の異変に気づき、生活の破綻を感じとり、それを母や叔母に伝えていた。それでも2人はいつまでも「まだ大丈夫」だと思っていたのだ。
いつまでこの生活つづけるのか、と何度も娘たちにきいた。その度「そうだよね、もう無理だよね」と話し合いの席を設けたが、娘2人は反りが合わない。進まない話合いのなかでただただ時間と認知症が進み、祖父の事故で強制終了だ。
だから言ったじゃん!!と怒鳴りたい気持ちを抑えて、今にいる。何度も、何度も今からだよ、今のうちだよと声をかけて。それで今になって「してあげたい」だなんて言うんだ。時間もお金もできることも制約ができて厳しくなってきた今になって。
祖父母2人を一緒に介護したいって言うんだ。祖父は事故で頭を手術してから、リハビリ施設でリハビリ中。トイレと食事に介助がいる。自力で生活できるかも怪しい。祖母は認知症が重度で目が離せない。これを2人いっぺんに仕事しながらって無理がある。無理しかない。家族全員ゾンビになるほどしゃかりきに頑張れば可能かもしれないが、それは幸せか。頑張る家族側の幸せはこの際度外視して、祖父母は娘の家族ごとゾンビにした上で成り立つ生活を、幸せと享受できるか?
母には酷すぎて言えずにいるが、介護は正直どう足掻いても自己満足だ。棺桶に入った自分の家族を前に、後悔しないためだけに行われている。幸せなんて本人にしかわからない。
叔母と母と祖母の親子3人水入らずで過ごしている間、叔母が母の日だからケーキを食べたいと言ったらしい。母は祖母の入所に伴う書類を集めたくて、区役所へ寄りたかった。叔母はお昼時だから誰もいないのではと言ったが、母がそんなわけあるかいと行ったので区役所へ。結局区役所でかなり時間を食ってしまい、叔母は自分の家族の元へ帰る時間が迫り、ケーキを食べられなかったらしい。
叔母が母にLINEで「3人でケーキ食べたかったな」と言った。これがタイトル回収。今更な話だ。入所が近づき、そう簡単には会えなくなる今になって初めて母の日を意識したんだ。
だけど叔母といったら、祖父と喧嘩して確執ができて、わたしがひとり母と祖父母の顔を必死でラインビデオ通話で繋げてた頃、まったく音沙汰なかったわけで。祖父母からすれば生きてるか死んでるかわからんひとだったのだ。
母の日のケーキだって、もう何年もわたしと祖父母の3人でケーキを食べてたよ。母の日、父の日、祖父の誕生日、祖母の誕生日、わたしの誕生日で年5回はケーキを食べていたし、季節が感じられるようにバレンタインチョコ、桜餅、柏餅、クリスマス…季節ものを見つけては旬のフルーツや食べ物を買って家を訪ねていた。
その上で今のうちだと声をかけて、顔を見せてあげてよと言っていて。それで今、今更になって「3人でケーキ食べたかったな」?
黙れと喉元まででかかって、やめた。ここで責めても叔母が折れるだけだ。もう今からでいい。もう今からあんたが後悔しないようにやるだけだよ。
みんな、できることがなくなると実感してからじゃないと行動できないんだ。どんなに早くアラートを叫んだって、それをすべき人が気づいて、したいひとがしないと意味がない。母の代わりのつもりだった。ずっと。だけど、母は母本人がしてあげないとしてあげたことになってなかった。母の中では、何もしてあげられなかったことになっている。
つまりわたしの8年間はまじで無駄だった。いやわかる、無駄じゃない。祖父母にとってはある程度の生活の花であったろうし、いないよりはいたおかげで祖母の認知症の対応は早かったと思う。だけどわたしにとっては、母が何もしてあげられなかったと言わなくて済むようにが目的だった。その面でいえば無駄だったと感じざるを得ない。
ただまあこの叔母の発言でよかったと思えたことがひとつある。ケーキだ。「母の日にケーキをみんなで食べる」は、本当の娘もしてあげたかったことなんだと認識できた。チョイスは間違ってなかった。よかった。本当の娘がしてあげたいと思うことしてあげられていたんだな。
みんなどうしてるんだろうな。この正解のない選択に迷う家族を見て、どうやって支えてんの。後生だから自分で選んだ選択の上で笑ってくれ。振り返ってああすればこうすれば言わんでくれ。不安なのはわかる。だけど、支えるこっちは母の選択を正解として協力するしかない。親の最後をどうしたいかは、本人とその子供たちに選ばせてあげたい。こっちはそれを気合いで実現できるように支えるから。
だから決めたら迷うな。笑え。これでいいと言うことが、決断した人間がその決断に巻き込まれざるを得ない人間へ唯一できる手向なんじゃないのか。
知らんけど。