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【5歳の頃の思い出】母公認の父の愛人の話です

父親が80歳を過ぎたときに言われました
俺への香典は用意はできたか?と

最低でも娘として必要な金額は
香典だけではすみません

「まだだよ、もう死ぬ予定でもできた?」

死なれたら大変です

香典のお金の問題では済まされません

「そうか、まだだな」

これは父と私だけにわかる話です

2人で笑いました

「生きていても邪魔にはならないだろう?」

一人暮らしでした

あるときに

「もう、家には来ないように」

それが最後でした

あの言葉から10年父は生きました

私に大きな贈り物を置いて

誰も想像もしない贈り物でした

何故、そうなったか

父との約束通り離婚後
再婚をしなかったのは

この贈り物を受け取る権利を持つためでした

父との思い出は可笑しな思い出でした

父には女の人がいました

それを知ったのは5歳前です

母は自称身体の弱い人でした
父にお弁当を山に届けに行きました。

現在のような危険など縁のない生活です

一人で父のお弁当を背負わされて

山に行きました

で、道から、父を呼びました

そこで見たものは衝撃的でした
父が知らない女の人といたのです

その女の人が私を見て
笑いかけてきたのは覚えています
顔も今でも覚えています

で「父ちゃんお弁当」と
背から降ろして渡しました

父は「ありがとう、」

私は父が44歳の時の子供です

で、6人目で初めての女の子です
それきり何も言わず帰ってきました

多分、走って帰ってきたと思います

で母に言いました

「女の人がいた!」  と

私にとって女の人を見たより
母の言った言葉のほうがショックでした

「その人は父ちゃんのいいひとだよ」

母公認の相手だったそうです

家も教えてもらいました
それから、私はずっと
父に言いました

山に行くというと、どこどこに行くんだよねと

兄たちは意味が分からないので
変な顔をしていましたが
母は笑っていました

父も笑って返事もしません

でもいうのです

で、亡くなったと母に言われてからも言っていました

「いくんだよね」  と

何故だか、

許せないという気持ちではなかったと思いますが

この言葉は抵抗なく口から出てくる
魔法のようなものでした

これが父とも思い出でした

ありがとうございました。

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Al、【桜の妖精】
よろしくお願いいたします