時間はじぶんのもの
誰かと会う約束をするとき、
学校のお母さんにPTAの用事を頼みたいとき、
今日は操体法の講座に顔を出したいな、と思っているとき、
どんなタイミングで、相手に連絡をするのか、
私は、「事前に」というのが正解だと思っていた。
今も、「事前に」しなければ、と思うときがある。
けれど、本当は、私の中のタイミングがあり、
それは、わたしの場合、「ぎりぎり」だ。
ここでいう「事前に」は、1週間前、とか、2週間前、とか、
三日前、とか、その都度自分が思う「正解っぽい」タイミング。
けれど、「私の中のタイミング」を意識していると、「事前に」のタイミングはほとんど当てはまらず、ランチの約束だったら、「当日の朝」とか、
「11時半」とか、「自分のお腹がすいたとき」とか「ぎりぎり」になる。
これに慣れないと、当日の朝誘うのは相手に悪いかな?とか、断れるかな?とか思って、なかなか誘えない。
操体法を続けていると、原始感覚(自分の中の快・不快を感じる感覚)が研ぎ澄まされてくるので、それに従うことになる。
自分の「快」の時間、場所、相手、を選ぶことになる。
それは、今までの世間の常識とは違うものだ。
ひとりひとり、違うものだ。
時間はじぶんだけのもの。
自分のすきなように使っていい。
「事前に」という正解を踏まないと、なにか怖いことが起こるとおもっていたけれど、(たとえば人に嫌われるとか)
そんなことはなかった。
むしろ、周りの好きな人たちは、「ぎりぎり」連絡してくる人が多くなった。
時間を自分のタイミングで使うことを楽しんでいこう。
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