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#007 OD自殺未遂した日

※タイトル通り自殺未遂の話です。閲覧は自己責任で、十分ご注意ください。

こんにちは、小夜です。
今回は2024年8月にOD自殺未遂をした時の経験を記録してみたいと思います。
心身が不安定な方の閲覧はご注意の上、自己責任でご覧ください。



経緯

もともと常に希死念慮と共にあり、「いつか」の方法を探る日々でした。確実性の高いもの。かの有名な「完全自殺マニュアル」も所持しています。
その本に記載されていた方法が良さそうだと思い、薬剤を用意していました。(薬剤名は伏せます)いつでも実行できるように。用意してから半年はなにも起こさず、ただ日々が過ぎていきました。

2023年冬、元々冬季うつの傾向があるのと、夏の終わり頃に飲んでいて調子の良かった抗うつ薬が製造中止となり、かなり調子を崩しました。また、傷病手当の受給が終了し、実家に戻るタイミングでもありました。一人暮らしから実家への引越しは荷物を大幅に減らさないといけなくて、メンタルが削られていきました。そして肩身の狭い実家生活がはじまります。
また、この時期に入院も勧められていますが、転院しなくてはならない事、今の主治医を変えたくない思いがあり、断っています。

2024年春夏、この時期は比較的酷く落ちることもなく、低め安定の時期です。この時期に何を考えたか主治医に相談せず就職活動を始めます。
とある分野の資格勉強をしており、無資格での募集も多々見かけたことから、就職活動を始めてしまいました。
この時点で無職期間は丸2年。正社員雇用を目指すのは難しく、惨敗の日々。内定をもらっても急に不安になり辞退するなど、明らかに迷走していました。もちろん精神的に参っていきます。

自分の周りやSNSを見たら、働いている人、家庭がある人、生活が充実(しているように見える)人ばかり。中でも、精神疾患を持ちながら働いている人に強い劣等感を感じていました。

実行は突然

何か決定的な出来事があったわけではない。
ただ毎日鬱々と「自分は何もできない」「もうダメだ」という気持ちに支配されていました。
フッと糸が切れたように「もういいかな」「今だ」となり、夜にODをしました。わたしは常用的にODをするタイプではなく、これが初めてでした。確実に成功するであろう方法がこれだと考えていました。
70錠近く飲みましたが、そんなに苦ではありませんでした。眠剤も飲んでいたので、後は寝るだけ。

体調の変化

酷い動悸と下痢、嘔吐が主です。吐いたものは暗かったのでよくわかりませんが、黒っぽかったと思います。
動悸も、Applewatchが常に異常な心拍数を通知し続けていました。

救急搬送

午前1時ごろ、母にODしたことを伝えました。何故そんなことをしたのか分かりません。お別れをしたかったのかな。母は泣きながら「吐きなさい」
と言っていました。「なんでそんなことを」「お母さんを置いて死なないで」と。

一晩中吐いていました。

明け方、兄が起きた気配がして、朦朧としていてよく覚えていませんが、多分#9119に電話したんだと思います。そして救急車を呼ぶよう指示されたんだと思います。
午前8時ごろ、救急搬送されました。

地獄の処置

病院についてからも、朦朧としながらいろんな医療スタッフがわたしに話しかけたり、血圧を測ったり、
救急病棟なので、子供の叫び声が聞こえたり、

鼻から管を通して、いわゆる胃洗浄をしたんだと思います。とても痛くて苦しかった。あと炭?を入れて薬剤を吸着させる処置も行われました。お陰で吐くものは真っ黒です。
処置の時間も朦朧としていて時間感覚がありません。いつ病室に移ったかもわかりません。気づいたら病室にいて、黒いものを吐き続けていました。もうODなんか二度としない、と思わせるほど壮絶できつい処置でした。

入院生活

それから一週間ほど入院しました。
わたしの場合、炎症が治まらないのと軽い肺炎になっていたとのことで入院が長引いたようです。

入院中は自分でも意外と思うほどに落ち着いていました。暴れたり、希死念慮が強かったり、不安定なことはなく、水面のように静かな状態でした。ただODしたことへの後悔のみでした。
家族は毎日会いに来てくれ、わたしの行動を責めず、ただ手を握ってくれていました。
体調が悪いと悪い夢ばかり見るのですが、その中に家族に見捨てられる夢がありました。それが辛くて悲しかったのですが、現実ではわたしのことを心配してくれ、身の回りのものを用意してくれたりなど、見捨てられるには程遠い対応で涙しました。

精神状態が落ち着いてたこともあり、入院生活は暇でした。お気に入りの本を持ってきてもらい、何度も何度も読んでいました。

医療スタッフ、看護師さんの優しさには感服しました。またその業務の大変さを実感しました。医療的なケアだけではなく、患者の介護もしなくてはならないので。
時々雑談をしてくれる看護師さんがいて、わたしのスマホケースに入ってるちいかわを見てちいかわの話をしてくれた時は心が和みました。
ある時、「なんでこんなこと(自殺未遂)しちゃったのかなんて、もうわけわかんなくて覚えてないよねぇ」と言われ、なんだかとても救われた気持ちになりました。そう、わけわかんなかったんです。

二度ほど精神科の先生との面談がありました。生い立ちやうつ病になったきっかけ、苦しかった状況などを話しているうちにボロボロと泣いてしまいました。先生はうん、うんと優しく話を聞いてくれました。精神科への入院を勧められましたが、ここでは保留となっています。

入院中困ったのが、身体の痛みでした。
ベッドに寝たきりから来るものではなく、恐らく吐いた時に変に力が入っていたのか、腹筋や下半身が5日間ほど痛く、起き上がれなかったり、足を曲げたり、立つのも不安定なくらいでした。退院してから果たして歩けるのか不安なくらい。
あとは入院になり、ピルが飲めなくなったので生理が来たのも地味に困りました。

夜はあまり眠れず、眠剤も処方が少し変わったりして、壁の模様(汚れ)をぼーっと見つめていました。不思議と思考は回ってなかったです。放心状態に近かったのかもしれません。

退院してから

入院費は一週間で20万円ほどでした。自傷など自らを傷つけて医療にかかった場合、十割負担になるのですね。初めて知りました。痛い出費でした。

それから二ヶ月ほど、なにもせずぼーっと過ごしてました。思考が回らず、先の不安も何もなく、この時期がある意味一番安定してたように思います。もちろん、家族のケアのおかげです。

退院してから主治医の診察を受け(転院の覚悟もありました)、このまま診察してくれることになりました。わたしがODした薬剤と量はかなり危険なものだったと知らされましたが、怒られることもなく、「大変でしたね」と優しく声を掛けてくれました。

さいごに

先述のとおり、わたしは普段からODをするタイプではなく、これが初めてのことです。
「ふわっとしたいから」「現実逃避したいから」という理由はわたしにはよくわからなくて、やるなら確実に終わる方法としてのODでした。失敗しましたが。

近年ODはメディアやSNSで取り上げられるようになり問題となっていますが、癖になり常用すると様々な危険なリスクがあることはあまり知らされてないように思います。
透析、薬剤(麻酔)などが効きにくくなるなど。

処置を受けている時は本当に辛く、もう二度とODをしないと強く思ったわたしですが、半年ほど経った今、それはどうかわかりません。
希死念慮が消えないからです。
同じ方法で、または違った方法で未遂をしてしまうことがまたあるかもしれません。そうならないといいですけど。

辛くなったら頓服を飲む。早めに受診する。SNSはほどほどに。
わたしの経験が誰かの役に立てば幸いです。

ではまた。

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