競い合いが嫌いだ
私は競争が嫌いだ。
子どもの頃から競い合いが嫌いだったから、勉強でも運動会でもちょっとした遊びやゲームも、優劣つけられることに抵抗があった。
勝ち負けが決まるような遊びは嫌いだった。
とはいえ、子どもの頃の遊びって、鬼ごっこだってドッジボールだって、勝ち負けがある。
本当はそれらを避けて通りたかったが、さすが全てを断ることができずに、嫌々参加することも多くあった。
走るのは不得意だった。だから、体育の授業は嫌いだった。体力テストや運動会、マラソン大会は死ぬほど嫌だった。
とはいえ、私は小学生の頃からバレーボールのチームに所属していて、高学年ではキャプテンだった。
バレーボールは好きだった。勝ち負けを決めるけど、チームスポーツだから好きだった。みんなで頑張れる、みんなで悔しがる、それはすごくいい経験になった。
私は個人での競い合いが嫌いだ。自分が劣っていることを、なぜみんなの前で公表されないといけないのか。
とにかく自分に自信がなかった。
自分が劣っていることを開き直れるほどの余裕はなかった。
自分が子どものときから競い合いが苦手なのに、教員になったのだから、もちろん競争の場面はたくさんでてくる。
運動会や合唱コンクールはもちろんのこと、勉強だって順位がある。
成績だって出る。
とにかく学校は、多くのことを数字で評価をしている。
評価をすれば優劣がつけられる。
自分が学生時代に苦手だったことを、今度は教員という立場で評価する立場となった。
もちろん担任としても、自分の学級が評価されたり、学級間で競い合ったりする機会も多かった。
私は勝負事は好きではないから、誰かや他のクラスと競うのではなく、一緒に向上できる方法を考え、みんなで頑張っていこう!という雰囲気を求めていた。
それでも、学校には競い合いが多く、勝ち負け論がベースとなっている。
何かをするとき、常に相手がいて、その相手を意識して、行動を行う。
本来は、自分自身の成長のために教育はあるはずなのに、意識するのは自分のできるようになったことではなく、相手より優れいているか劣っているか。
勝負は時として必要なときもある。
でも、学校での多すぎる勝ち負け論では、子どもたちは大人になっても「勝つ」ことは全てだと思ってしまうのではないだろうか。
勝つ人がいれば負ける人がいる。
そうではなく、みんながそれぞれ勝てるような思考になるような教育活動をしていかないといけないと思う。
「7つの習慣」の第4の習慣「Win-Winを考える」
これも教育には必要なことだ。