高校生が考える!映画分析と評論の世界:著者紹介
?著者紹介
初めまして、春から高校1年生になる普通の学生です。🌸このページに来てくださり、誠に有難うございます。はっきり申し上げますと、私は映画が大好きです。ほんの一年前まで、この歳で人生に迷っていました。自分がしたいことも分からない、この先自分がどうなっていくのか。ああ、未来が怖い。そう、思い続ける毎日でした。「もっと気楽に生きなよ、まだ中学生でしょう?」相談した大人には、いつもそう言われてきました。
ある時、ふと某有名動画投稿サイトを見ていると「ジョーカー」の予告編を見つけました。正直、期待はしていませんでした。”狂った殺人鬼”を描いた作品には主題、というか”ホラー要素”しか見つけることができないからです。ですが気休めにいいだろうと映画館に久しぶりに行きました。驚いたことに、その作品が私が映画好きとなるきっかけとなる映画になったのです。
なぜ、私がまず「ジョーカー」の沼にハマったか。そして、なぜそれが今の映画評論・分析という趣味につながったのか、お話しします。
一言で言えば、「映画の楽しさ」を知った、と言えます。今までの私の考えでは、映画とは一種の「娯楽」でありその考え方は多くの方がそう言った考え方を持っているのではないかと思います。なぜ、映画館に足を運び高いお金を払って見にいくか?その答えは様々ですが、「娯楽」ですよね。エンターテイメント性が、映画館の魅力だと思います。その考え方しか片隅ぎに無かったのは、きっと私がそのようなシリアスな作品に出合ってこなかったから、というのも一つの要因であるのかもしれない。
「娯楽」は人それぞれで、価値観や定義は全く異なると考えます。「ジョーカー」を私の視点で一言で言うと、新しい「娯楽」に出会わせてくれた扉と言えます。自分が”楽しい”と思えるのは何か、一体自分は何を求めている?、なぜ自分は人よりも人生に悩んでいる?ごちゃごちゃしていた私の頭の上にできた、扉を”ノック”する音。それが、「ジョーカー」との出会いです。
初めて、ネットで私はこう検索をしました。「映画 ジョーカー 考察」「ジョーカー 疑問」私にとっての映画は、「観て終わり」「観てすっきりするもの」でした。ですが、どうしても疑問が残るのです。と、同時にいつのまにか自分の考察をタイピングしている自分が居ました。考えて考えて、私は「ジョーカー」を合計7回見に行きました。見るたびに、私は違う発見があることに気が付いたのです。そして、自分なりの答えや考察がまとまった時”自分はこんな考えを持っているのか””この考えは、他の人の考察には無かった考えだ”、自分を客観視することは難しいです。しかし、今まで”自分とは何か?”について長年苦しんでいた自分にとって、”自分”という存在を感じられたことはすごくうれしかった。
そんなこんやで、私は映画鑑賞という趣味を持ちました。よく、「なぜそんなに映画を何回も観るのか?一回で十分じゃないか、時間の無駄だ。」という考えをお持ちの方がいらっしゃると思います。一種の考え方ですので、私は否定というものをしません。先ほど、述べたように私は新しい「娯楽」に出会いました。私にとっての娯楽は、私の楽しみであり自分自身であるとも思います。娯楽が自分自身なのであれば、映画鑑賞の趣味の前に自分は確立されているのではないかと考えるかもしれません。あやふやですが、自分が思う自分は確かにいました。でも少し前に、捨てました。だから、革命的な映画の数々に出会う前の自分はなんだかよく分からない、これからどうなろうとしているのか分からない自分でした。だからこそ、映画に出会い、新しい「娯楽」を知ったことで初めて”自分らしく”なれたと言うのです。
ジョーカー中心になっていますが、そこから関連作品や、また全く違うジャンルの映画を観たことによって少しずつ映画の世界を知りました。誰がよく知っている、上手い解釈を持っている。そんなことはありません。いろんな解釈があるからこそ、映画は面白いのです。
私の考え方、解釈を読んで映画の見方が変わる。映画の魅力に少しでも触れていただけたら幸いです🌸