サイコ戦争についての覚書2
最近、サイコ戦争なんて起きてないのではないかと思い始めた。
しかし、この感情自体がサイコ戦争側からの精神干渉の結果なのではないのか?
第一、サイコ戦争が嘘なのだとしたら、ジョニー、ランデブー坊や、金玉嗅ぎのおっちゃんやカエル怪人の存在も嘘だということになるじゃないか。
マイロベースの最終決戦で、十一人のハサミ使いたちと戦った記憶が嘘になるということじゃないか。
ランデブー坊やの涙や、金玉嗅ぎのおっちゃんの特製匂い袋、それにハンマーDQN男爵の決死の咆哮は今も自分の魂にこびりついて離れない記憶となっていて、人格にまで影響しているが、それらが嘘であるなんてことを認めてしまえば、ここまで生きてきた自分の人生が偽物になってしまうということじゃないか。
しかし、こうも考えられる。サイコ戦争が起きていないのなら、残虐村の悲劇やトミヤ橋の殺人夫婦の壮絶な過去は最初からなかったということになる。
悲しみを放棄することが赦されるというか、サイコ戦争が嘘であったという確信が個人の力ではどうにもならない運命の糸を切り離すチャンスであるのなら、それにすがるのも良いのではないか?
そして、同時にこうも考えてしまう。
もしサイコ戦争が嘘であることを自分が確信したとしても、その確信は何が保証してくれるのか?
サイコ戦争の記憶の真正をすべて疑い切れたとして、そして自分自身はサイコ戦争の陰気で凄惨な記憶から解き放たれることができたとして、でもそれはあくまで自分自身に都合のよい事実改変をしたというだけのことであって、あの場所で流された血や涙、粉々になった肉体や、踏みつぶされた眼球が地面に残したゼリー状の染みはあの場所で今も残り続けている。
ハンマーDQN男爵やジョニーはもしかしたらまだ生きているかもしれない。
今も戦い続けているかもしれない。
金玉嗅ぎのおっちゃんの裏切りは許せないし、血吸い虫街道で起きたことへの復讐は絶対に果たされなければいけないと思っているが、この無念を嘘にすることができる機会を得たとして、そう、すべてを忘れるという選択が原理的いは赦されたとして、その選択をした自分自身を果たして戦友たちは許してくれるのか?
サイコ戦争が偽物で、捏造された記憶だったとしたら、そこで戦った同胞たちもまた、捏造された記憶だということになるが、そのとき同胞たちのリアリティを保証するのは、自分自身の信念に他ならない。
あの戦争が真実である可能性と嘘である可能性が半分半分であるという状況の中で、自分にとっての真実がどちらかを選ぶのは、自分自身の信念に基づいてということになる。
だから自分は、サイコ戦争を嘘だと言うことができない。
たとえ、それが嘘である可能性が99%であったとしても、自分のリアリティの中で、記憶の中で、悪夢の中で、自分に助けを求め続ける戦友たちの顔を忘れるという選択肢を選ぶことはできない。
自分にとって、本当でありすぎるという意味において、サイコ戦争は真実であり、そこに従軍した記憶は常に自分の核であり続ける。
それがサイコ戦争の本当の罠だったとしても、その罠の正体を確かめずにはいられないのだ。