私がオープンデータを諦めないわけ
諦めないわけシリーズの第一弾が3年前だったのか、と自分のnoteを感慨深く読み返したりしています。シビックテックを諦めない!は正直色々とモヤモヤした中で書いたような記憶があるのですが、今年(2024年)は、一般社団法人シビックテックジャパンの理事に就任させていただくなど、ちゃんと有言実行だったりしますし、新機軸としての取組も発表できそうなので、こちらもぜひご期待ください。地方×シビックテックのちょっといい関係を探って形にしていこうとしているという感じでしょうか。
ただ、今回諦めないのは“オープンデータ”です。
オープンデータって何ですか?
ここしばらく、地方自治体の方から「異動で担当がかわったので、一からオープンデータについて教えて欲しい」と言われることが何度かありました。確かに、国をあげて「オープンデータ」と言い出して随分と時間も経つのでやむを得ない気はします。ムーブメントが人事異動を超えて受け継がれていくことがいかに難しいかは、私も長く地方自治体の皆さんとお仕事をさせていただいていて分かりはするのですが、“オープンデータ”のような基本的な考え方みたいな話は、常識として根付いて欲しいなぁと思ったりします。
2014年頃から、オープンデータの可能性を感じ、普及啓発活動を行い、2016年には恐る恐る“伝道師”の肩書きをいただき、気づいたら8年も過ぎています。8年もオープンデータについて語り続けてきたのに「オープンデータって何ですか?一から教えてください」と言われると、正直悲しくなることもあります。
オープンなガバメントデータが流行らないのはなぜか
自治体の85%がオープンデータに取り組んでいる、というのが公式なデジタル庁の発表になります。「お〜8割超えたかぁ」と感慨深い思いもありますが、一方で質が伴っていない85%は少しいただけない気もします。一度公開したっきりで、運用ができていないケースも多分に含まれているのでは無いかと。では、なぜそうなってしまったのか、いくつかの原因を探ってみます。
どんな価値が生まれるか分からない
官民データ活用推進基本法ができたころ、自治体ではオープンデータやらなきゃ!という機運が一気に高まりました。データカタログを公開し、利活用推進のためのイベント等を企画されました。私も多くの自治体を支援させていただきましたが、一過性のアイデアやプロトタイプどまりになってしまったことが多く、その先のビジネス化や地域社会に根付くサービスに繋げることができなかったことは反省しきりです。
そんなことが続くと、自治体の中では、どんな価値が生まれるか分からない業務に追われるのはよくない→オープンデータは後回しみたいな風潮が生まれてしまったのだと思います。
ライセンス<機械判読性
自治体が公開するオープンデータの中には、十分な議論が尽くされていない状況で、「とりあえず何か公開してよいデータを出して!」と担当課から言われたので出したというデータがたくさんあります。それが5年以上そのまま公開されている。ただ、バタバタとオープンデータ対応した中では、やむを得ない状況だったこともうかがえます。
ただ、オープンデータの利活用推進をする上では「機械判読性」は重要な要素だったので、機械判読できないデータが公開されると、「これは使えない!」と非難されたりすることも出てきた。すると出した側としては、出して色々いわれるのであれば出したくない、というマインドになったのではないでしょうか。「最低でもCSV、住所が絡むデータには緯度経度がデフォ」みたいな言説が、データ公開を阻害した要因の一つとしてあると思います。
ちなみに邪道かもしれませんが、私は、ライセンス>機械判読性というお話をいつもしています。国が公開した日本の祝日のオープンデータ(csv)が、正規化されていない!と炎上した際に、改変可能なライセンスだから正規化したよ、という人が現れたことがありましたが、これぞオープンデータの本質だと思うんです。
次々に降りてくるバズワードの関係性
自治体のデジタル関連業務をお手伝いしていると、国から次から次に新しいキーワード(業務)が降りてくるのがよく分かります。政策としては一貫性があるので十分理解はできるのですが、その「一貫性」の説明が十分ではない。政権が変わると制度の名前が変わるのはやむを得ないのだと思いますが、そのつながりが理解できないと、地方自治体では単発で対応するしか無いのだと思います。私は、小規模自治体のお手伝いをすることが多かったので、この苦労がよく分かります。
オープンデータも、自治体DX・地域DXも、デジタル田園都市国家構想も、地方創生も、データ利活用も、EBPMも、全て繋がっている話なのだけど、それを体系立てて説明し、腹落ちした上で地域の経営戦略(ビジョン)に繋げることをといている人が少なすぎるのだと思います。
ライセンスの話をわかりやすく
私は、自治体の皆さんにオープンデータの話をする際に、ライセンスの話をより重視するようにしています。自由に使えるデータがインターネット上にあることの重要性、なるべく加工していない状態のローデータの重要性、改変可能であれば、誰か(必要とする人)が使いやすい形式に変換してくれるはず、みたいなことを伝えています。
そんな中、2024年の出来事として、ウェブサイトのライセンスをオープンデータ化する利用規約「政府標準利用規約2.0」が「公共データ利用規約(第1.0版)」にアップデートされるというトピックがありました。素晴らしいアップデートだと思いますが、地方自治体には、なかなかその意義が伝わっていないかも、これも様々な政策の関連性が見えていないからなのかもしれません。
この辺りのネタは、私も勝手に普及活動をしていこうと思っています。
そもそもデータって何なの?
で、ここにきて原点回帰です。
オープンデータ周りでは、OpenstreetmapやWikipediaといった、オープンデータをみんなで作る取組も多々あります。私の会社では、図書館のデジタルアーカイブサービスを提供していて、歴史的に価値のある資料(画像データ)をオープンデータとして世界の共有財にすることの重要性を説いています。
どうしても「データ」というと、スプレッドシートに並んだ文字列みたいなものや、いわゆるコードのようなものを連想する人が多いのでは無いかと思います。それが、「何か難しそう」という苦手意識に繋がっている。
そうではないデータの側面である、みんなで作るデータや、画像、音声のデータが自由に使えることの意味を、オープンデータの文脈でもっと語った方がいいなと思ったりしています。2025年の課題ですね。
データを見てWow!の体験を
RESAS(地域経済分析システム)は、国が提供する、地域に関する様々なデータを見える化するためのサービスです。石破さんが地方創生大臣だった頃にローンチされ、「データを使うと地域の伸びしろが見えてくるかも」というコメントを出されました。開設当初、私も普及のための取組をお手伝いさせていただきましたが、「RESASはデータが古い、少ない」などの酷評も多かったように思います。でも、毎年アップデートを続け、かなり使える“地域分析システム”になっている(けど残念なことに使われていない印象、特に自治体では)。
最近は、自治体職員さん向けのデータ利活用研修会を担当させていただくこが増えました。その中で、必ずRESASを活用したハンズオンを行うのですが、参加者の反応がよい、改めてデータの見える化を通じ、自分の街を気づく「Wow!」の表情があるのです。
自由に使えるデータがあって、それを簡単に見える化できる仕組みがあって、3回くらいクリックするとWowが生まれる。そんな体験から新しい価値や政策は生まれるのだと思います。
これらの価値創出も、自由に使えるデータがそこにあることが大事。
と言うことで、初心にかえってオープンデータの価値を問い続ける伝道師でありたいと2024年の締めに思うのでありました。