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私がシビックテックを諦めないわけ

noteに登録して7周年のバッジをいただきましたが、ここに文章を書くのは初めてです。年の瀬も近いし、何か新しいことでも始めてみようかという気まぐれと、シビックテックアドベントカレンダー書かなきゃという焦りと、そんなものが背中を押してくれました。

シビックXXとの出会い

時々、みなさんの前でもお話することがありますが、私が“シビックXX”という言葉を意識し始めたのは、「シビックジャーナリズムの挑戦」という本がきっかけでした。河北新報の寺島英弥さんが上梓されたこの本には、米国で新聞記者が地域のコミュニティに入り込み、そこに暮らす人々の課題を記事化し、ともに解決していく様子が紹介されていました。

その影響もあり、インターネットの双方向性や速報性を活用した新しい地域メディアを作ってみたいと思うようになり手がけたのが、佐賀新聞社在職中に立ち上げた地域SNS「ひびのコミュニティ」でした。新聞社がつくるメディアではなく、新聞社の中の人一人ひとりが、地域のみなさんとともに創り上げる新しい情報空間みたいなものを、大いに妄想していたことは記憶に新しいところです。

地域情報化って何だ?

地域SNSを立ち上げ、運用し始めたことがきっかけで、九州内の地域情報化団体のみなさんや、全国で地域SNSを運用する方々と出会うことになりました。新聞業界の中で10数年生きてきた私にとって、それはそれは刺激的で、業界や立場や年齢を超えたコミュニティに居心地の良さを覚えました。2014年頃、シビックテックコミュニティに始めて参加したときに感じたワクワク感みたいなものと、すごく似ていた気がします。

でも、2010年に前職を離れ起業する前後から「地域情報化」って何だろうという漠然とした違和感を覚えるようになります。2009年だからまだ新聞社にいたころの悩みが、元ブロガーの記録として残っていますw

2011年には、こんなことも書いています。

地域情報化といったキーワードは、自分の周辺では聞かない日はないくらい飛び交っています。ただ、どこかで、行政の過度な関与や、一部のアーリーアダプターだけでの盛り上がりになってしまっているケースがあるのではないかなど、正直しっくりときていない部分もあります。

なかなか悩み深いです。

まだまだ悩むけど、何か答えみたいなものが見えてきたのかも

2014年になっても、まだ地域情報化についてあれこれ書いています。ただ、何となく答えっぽいモノを見いだしそうな自分も垣間見えます。2014年の2月に仲間を募り、Code for Sagaを立ち上げた直後なので、そこにぼんやりと可能性を感じ始めてたのだと思います。

新しいテクノロジーや価値観を、ただ単に持ち込むだけの“地域情報化”はすでに時代錯誤なのかもしれません。歴史や伝統といった単純な文脈では語りきれない地域の人の様々なふるさとへの思いと、地域のありのままの姿を定量的に分析するようなところ両面から、地域におけるICT利活用を広げていくべきだと思うのです。

そして出会ってしまったみなさん

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Code for Sagaの活動を手探りで始めていた私は、2014年8月30日、金沢で開催されたブリゲードミートアップに参加しました。全国から集まってくるシビックテックコミュニティの皆さんに圧倒されながらも、全国に、同じようなことを考えている人がいるんだなぁ、そして地域情報化とは何か違う空気感がある、と感じていました。一人ひとりが実践者であり、当事者であり、自分の町を誇らしげに語る人たち。大きなヒントをもらいました。

あれから7年

月日の経つのははやいもので、気づけば7年。Code for Sagaとしてのアーバンデータチャレンジ参加も7回目になり、来年のオープンデータデイは9回目の開催となります。正直、ほっぽり出したくなることが何度もあったけど、我ながら、よく続けてきたなぁと思います。

なぜって理由は自分でもよく分かりません。ただ、自分が思い描くシビックテックがもっと必要とされる社会が、ほんの少しだけ先にあるような気がしているのだと思います。その景色をみてみたいのかな、というか少しずつ見え始めている気も。

なんだろうなぁ。別に「シビックテック」とか「Code for X」とかの形式張った何かがやりたいからやっているわけでもないんだけど、地域情報化の世界でモヤモヤしてきたもの、そしてシビックテック界隈で相変わらずモヤモヤしているものが、そろそろぱっと晴れそうな予感がしますね、2022年は。


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