見出し画像

ドッペルゲンガー


ドッペルゲンガーとは、自分自身の姿を見る幻覚の一種


ドッペルゲンガー現象が起こると、

死の前兆

と昔から言われています。

ドッペルゲンガーは本人が見ると死ぬ、と言われてます。
私は今から自分の理想的な話をするので、
これ以上のドッペルゲンガーに関しての知識はいれません。

ここまでの話しまでだと私はドッペルゲンガーに関してわくわくしちゃいます。

心中、自殺こそ最高の美学で憧れ

10代のときに心中が美学だと考えてた私は、わかりあえる存在、一つになれる存在を探して一緒に死にたいって考えてました
それをこの世に標本として残す!みたいな。

だけど、やっぱりみんな違う人で全くおなじ考えで価値観で同じ気持ちの人なんて存在しなかったんです。
それに絶望してました。

近ければ近いほど、人は分かりあいたいです。
一つになりたくなります。
んー私だけなのかな。
その人の全部を知りたい、私の全部を知って欲しい。そう思ってしまいます。
だけどやっぱり違くて、私はその人にとって良い!と思ってしたことが、憎まれてしまったこと、傷つけてしまったことがたくさんありました。

あのときの私にドッペルゲンガーが現れたら私はめちゃくちゃ嬉しかったんじゃないなかなー。って思います。
見つかったら一緒に死んでました。
ドッペルゲンガーを見ると死ぬってそういうことなんじゃない?って。
自分と同じ人が現れたら究極に分かり合える存在、まさに一つになれます!!
それ、結構私の理想です。 

自責の念が強くて、自分をいじめまくっていました。
結果人間関係もうまくいかず…

でも今は思うんです。
たぶんそのときの自分って自分の悪い部分がすごく許せなかったんです。
だけど人の悪いところを許すことはできる人間でした。

だからそういうダメな自分も受け入れたかった自分との葛藤が激しかったです。たぶん。

世の中のどの人もみんな色んな人格を持ってて、
悪いときの自分、いいときの自分二面性を持ってると思います

その悪い自分を客観的に見たら私は自分も許せたのかもしれません。
自分の考えが世の中に当てはまるかはわからないけど、
ドッペルゲンガーを見たと言われてる芥川龍之介とか、色んなことを違う視点でみることができる人って自分のことを客観的に見ることめちゃくちゃ多かったんじゃないかなって。

いい自分と悪い自分がお互いに客観的に見れたときお互いの自分が受け入れられたら生きていけるし、受け入れられなければ死んでしまうのかなって。そんなことをふと思いました。

だから私はドッペルゲンガーにたくさん出会いたいです。
似た人は3人いるとかいうけど、悪い自分と良い自分とそのミックスの自分の3人じゃないかとかそんなこと考えたりします。

うまくコントロールできればいいですよね。

人間関係もそれと同じで、一つにならずに認め合うことができれば良好な人間関係が築けるんだろうな、って思います。

頭でわかっててもできないことってほんと多くて困っちゃいます。

でも人との関係は自分だけの問題ではないから、伝えあっていかないとわからない。
伝わってると思っても意外と伝わらないです。
「普通」も「常識」も人それぞれ違うから!

それなのに一致させたくなっちゃって苦しいです。

私が特別そうなのかも、他の人もそういった面があるのかわからないですが、私がこうなのって幼少期の環境が原因にあると思います。

共依存親子


私は子どもの頃母の泣く顔をよく見ました。
母が自殺未遂をするところも見ました。
そのせいか、いつからか母には私がいないとダメだ、と感じるようになっていました。(もちろん母も親として私を守ろうとしてくれてました)
お互いに一人っ子だったせいかもしれません。

子どもの頃の全てが母が喜ぶと思ってした発言、行動が多かったです。
小学生の卒業文集は母親を喜ばせるために書いていた文章でした。ほんとに、思っていたことではなかったのが今読み返すとわかります。

母のことは大好きででもどこか嫌い。だけど、
絶対にそばにいないと無理でした。




母の愛情をうまく感じとることができず、何をやっても劣等生だった私は私がダメだから愛されない、私のせいで母が苦しんでる、私のせいで家族がうまくいかないんだ、と自分を責めてました。
自分嫌いすぎてビビる。

学校など人間関係が苦手で、いつも孤立していて私抜きで母が仕事が上手く行きそうになったり、寂しくなると
家出をして学校中を大騒ぎさせてしまったり、わざとお母さんの悪口を日記に書いてわかるところに置いたり、
1人のときにもう真夜中なのに友達の家に電話をかけまくったり、本当に親に迷惑ばかりかけてました。

いつも母の顔色を伺って、
母が誰かを褒めると自分が否定されてるような感じがして、学校でも劣等生だった私は先生からも呆れた目で見られることも多く、いじめられることもありました。

どうやったら愛されるか

人間関係がうまくいかなかったので、とりあえずヘラヘラした自分になってみたらうまくやれたときとあったけど、結局ナメられたり笑われたりバカにされて結局は自分が辛くなって、
どうしたら人に愛されるのか本気でわかりませんでした。
もう私のことなんか誰にもわかってもらえないと諦めたりとか。
人基準で考えても感じ方は人それぞれなので誤解を生むことも多々ありました。悩んでも仕方ないことで悩んで

みんなに否定されていると感じていて、私は人を不幸にしてしまう人間だ、って思ってました。
だから私は社会的に害のある人間だから死にたかったんです。
でも一人だと寂しいからせめて愛情を感じて、それを永遠にして死にたかったんだと思います。

今まで知らなかった世界、意外と温かった世界

高校生になって、お金も稼ぐようになって行動範囲も広がると、今までいた狭い世界とは違って色んな人生の先輩、私のことを知らない人たちにたくさん出会って、どうしようもなく病んでる時でもずっと私を支えてくれた人が何人もいました。

共依存関係しかわからなかった私は、
恋愛でも友達とも共依存になりやすかったですが、私が見ていた狭い世界よりも違う世界はたくさんあって、自分が周りを見たら救ってくれる人はたくさんいて、きっともっと前から手を差し伸べてくれた人はいたんだろうなぁ、と感じました

少しずつ生きることへの希望を持ち始めてもう少し生きてみよう、と思うようになりました。
それでもまだ20歳までに死ぬという思いは消えてなかったです。

その後にもまだ人生には困難がたくさんあってせっかく生きる希望を持っても、災難があって乗り越えられないと思う悲しさもあったけど、

そのたびに辛い時にそばにいてくれる、安心させてくれる友達がいました。だから乗り越えられました。
そして私も辛いことから逃げませんでした。
そこからまだ生きてたらいいことあるかもしれない、って少しずつ思ったりして生きていって25歳の今も生きてます。

母のために生きようとしてたことがおかしかったことに気づいたのも大人になってからです。

ほんとに私が今生きてるのって周りの人のおかげなんです。周りの人がいなかったら今頃とっくに死んでました。
世の中に100%絶望してたから。


私が経験を通してしたいこと

私が芸能をやり始めた当初も母の自慢の娘になりたい、認められたいそんな気持ちでした。だから何の目的もなく、売れたいとか思ってました。

だけど今は売れたいでも認められたいでもなく、私を救ってくれた人たちへの恩返しや生きる希望を失ってる人の気持ちに寄り添ってあげられるような生き方がしたいです!
私の経験を生かして。

なんでそんな色んなことに手出すの?って聞かれることがあるんですが、
私にはこれといった特技もないし、特別好きなことも趣味もありません。
実は特にやりたいこともないかもです。

ただ、人を不幸にする人間だと勘違いしてた私は今度は人を幸せにする幸福感を得たいです。

人って誰かに感謝されたり、役に立ったと感じた時にやっぱり嬉しいし、生きがいを感じると思います。
それがお金や人との関わりで評価されたりすると自信に繋がります。

だから私は人を幸せにできる人間という自信を持ちたいなって思います。

そもそも人は健気に生きてるだけで人に幸せを与えてるんだ、って私の大好きな小説家が言ってました。
だからとりあえずただ生きてるだけでいいんだと思います。

私もそんなたくさんの存在があったからここまで生きていきました。

ヒトという生き物の独自性

動物行動学的に言うと動物とヒトは分けては考えないそうです。

ただ動物ごとに独自性があって、
そのひとつに人間は協力する生き物だそうです。
確かに、人間ほど色んなコミュニティーをつくったり解消したり、協力してなにかをすることってないかもしれません。

私たち1人ひとりが毎日ご飯を食べるために、
食料を育てる人がいて、狩る人がいて、調理する人がいて、こんな毎日の当たり前のことも協力しあって日々生きてます。

他の動物は大人だったら一人でやります。

当たり前がなくなったら人は生きていけないです。絶対に1人じゃ生きていけません。

優しさの形も色々あったりします。
目に見えてることが全てではない、
大切なこと、本当のことはびっくりするくらい目に見えません。

自分の人生生きなさい。って私はよく言われるけど、ヒトって生き物の独自性は「協力」
ってことは、みんな他人と共存してるから生きてるんです。
だからエゴばっかりじゃダメです。

だから、人の立場にたって物事を考えて行動することが大事です。
自分も良くも悪くも人にたくさん影響受けて生きていきました。自分も与える側です。
だったら自分と関わる人に良い影響与えたいし、ごめんなさいをたくさん言う人生よりありがとうをたくさん言われる人生がいいです

自分のためにもちろん生きることは大切ですが、今関わってるの人生もかかって生きてるってことを忘れたらダメだと思います。
私はめちゃくちゃ極端な性格なので、バランスよくやりたいですね。

大人になると小難しい本ばっかり読みますけど大人になった今、子ども向けの童話などを読むと大切なことに気づかせてくれたりするので、ぜひ読んでみてください!

私は子どもと関わる仕事をしてるので、子どもから大切なことを学ぶ機会もすごく多いです。

自己の許しは他人も許せる

人の心はどんな悪いって言われてる人も、
元々はめちゃくちゃ綺麗なんだろうな、って私は思います。

それが色々な状況であらゆる方向に行ったりします。

ドッペルゲンガーから話しは
自分の中にいる悪い自分、他人の良い他人、他人の悪い他人、を全て受け入れることができたら生きていきやすいと思います。
でも、その受け入れてくれる人への感謝を忘れず大切なものを自らの手で壊さないように。

でも、許すとか受け入れるとか、結構難しいです。頭でわかってても、
そんな自分を責めずにそれはそれでゆっくりでも受け入れてあげたら楽に生きれるんだろうなあーと思います。

もしかしたら、ドッペルゲンガーを見て、全ての自分や他人を受け入れられたときに死が訪れるのかもしれません。

自分の許しは他人への許し
にも繋がってる気がしています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?