人を謝らせたいあなたの暗い欲望に目を向けよ 最終章

ある一定の頻度で希死念慮を抱くことのある自分が自死に関してどのように捉えているか語っておく。これから死ぬか生きるかを自ら決めるに際して、自らが死にゆく理由を未来永劫、決して誰にも理解されることを望まないこと、また望むことを諦めること(または諦めざるを得ないと絶望すること)の不可逆的な選択・決定が自死である。もちろん、遺書という形で自死の理由を残された者に語ることはできるが、死にゆく理由を明確に自ら知ることができればそれに対処することもできるのであり、自らの言葉で語り得るもの以上の何かを抱えたとき、その不可知を抱いたまま他者のすべてを拒絶することが自らを葬り去ることの意味である。易しく言い換えれば、死へ向かう人の背中を押す最後の瞬間の思いだけは誰も知ることができない。その領域に誰も踏み込ませない選択が自死であり、自らの非業の死の選択によって爛れた身体を他人の目に晒す代わりに死者が守れる尊厳といえば、死にゆく間際の自らの心、それが誰にも知られることがないこと、その孤独、ただその1点のみである。

「(あなたが自死の加害者になるかもしれませんよ)」という忠告が私に気付かせてくれたものはあるし、それが本当にもしかするとあるかもしれない誰かの死をどうにかして止めたいという優しい思いの表出であるという蓋然性ももちろん私は認めている。そうであってほしいと望んでいさえする。そしてその言葉をある程度真なるものと捉えた時に、自分の文章を読んで本当に死にたくなってしまった人のために自分がとった選択は次の投稿で「自分を卑小な存在として見せる」「自分の狼狽を見せる」ことであった。書き手である私をひとりの大したこともない人間であると見せることで取り急ぎ私にの文章に賛同する形で攻撃の色を濃くする人々を抑えたり、自分の文章が遠因で苦しんだり傷ついたりする人が多少笑ってくれればと思った(決して楽しい笑いではないが)。ただそれにかぶせる形でさらに私への非難の色を強める人、さらなる反省を求める人の言葉を読み、かれらはただ私がかれらの思い描いた通りに謝罪し、屈服させられることを望んでいるだけであり、その欲望は彼らが表面上擁護している人(木村花さんなり、萌子さんなり)の思いと何ら関係のないものであることを感じ取りただただ虚しくなった。そして私のとるべき措置は彼らとただ距離を置くことだろうと感じ、記事を非公開化し、有料化した。

私の炎上記事は炎上のお陰で少なくとも本人がタイトルくらいは目にしたことになっただろう。だから、萌子氏に謝らなければいけないな、と思ってこの間本人とコミュニケーションが取れるらしきファンコミュに参加しかけた。彼女が強すぎる感性とのバランスを取るために運動によって身体を整えているのは道理で、私もそんな彼女の様子に影響を受け在宅勤務の朝にランニングしたりしたものだから。でも、詫びの気持ちで真摯にヨガとか、できるかなと思う時に、子供がいて慌ただしくてなんだか無理だし、ヨガの目的である心を静かにすることに、リアリティーショーで半端に知ってしまった彼女の動画で行うことが、かえって自分の心を乱すことになりそうで、真摯さとはどんどんかけ離れていきそうで、結局やめてしまった。私は実の所、自分が情熱を持って注視していた画面の中の人々の幸せを願っているので、画面の中の人々が今生きていてくれてよかったし嬉しいし、どうもありがとうと言いたいし、直接謝罪できず、ごめんなさい。でも、私を屈服させたい欲望に他人の死を使うあなたに、謝る言葉はないのよ。

木村花さんがなぜ亡くなったか、前述の理由で「不可知」であり、未来においても、既に亡くなった方の思いに近づくことはもはやできない。私はテラスハウスを観ていないので、経緯を詳しく知ることもなかったし、今後知ろうと思わない(そして、知ることができない。繰り返しになるがそれが死者の尊厳だ)。ただリアリティーショーで自らの腑に落ちない行動をとり、自らの不快感をかきたてた人物に対し、執拗に攻撃のコメントを連ねる行為は、「不快感の原因を他者に求め、その誰かを謝らせたい、屈服させたい」という暗い欲望によるものだ。その欲望の暗い力が集団化し、不幸にも匿名性により、必要以上に「大きなもの」であるかのように受け手に感じさせる時、それが時に人を死に追いやるのではないだろうか。

死者の名をかたりその欲望を正当化するとしたら、死者への蹂躙としてそれ以上のものはない。

繰り返しになるが、他人の死を危惧する心は優しさ以外の何物でもない。その心に「他人を屈服させたい」欲望がどの程度混じっているのか、最初は優しさであったものがいつの時点でその暗い欲望にとって代わってしまうのか、本当に無垢な優しさのみが存在するのか、ひとりひとりの発言からその心を検分してジャッジすることは私にはできないし、判断は避けなければならない。それはあなた(私)自身があなた(私)の心に聞いてみなければわからないことなのだ。

自らの欲望のうずきを第三者の名を借りて人にぶつけそうになったとき、ただ静かにもう一度、自他の境界を引き直せ。


~~~~私自身がぜんぜんしぶとく生きて行く証明として投げ銭設定にしておきます^^~~~~

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