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昨日(2020年頃)行った読書会についてメモ vol,2

■読んだ本
アニー・ディラード/本を書く
https://www.komodo-books.com/?pid=120829300

昨日と書きつつ、約1ヶ月前に行った読書会についてのことである。

私が参加していた読書会は予め読んでおく必要はなく、読む本を持って行けばOK。用意できなければ、主催者にプリントしたものを配布してもらえる(コピー代は有料)。

読書会は90分で、改行ごとに読む人を分けて、声に出して回し読む。途中で感想を言い合う時間が設けられていたり、最後にお茶とお菓子の時間があるのも楽しみの1つだ。

今回は、第3章を5人で読んだ。

章の冒頭には毎回詩か何かの一節が載っているのだが、第3章はこんな具合だった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー今日もまた一日働いては一ドル稼ぐ暮らし

がんじき履いて十四時間、ああ、パイが食べたいな。

ーーーメーン州のわな仕掛け人の日記より
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1ドルが日本円で幾らなのか分からないし、「がんじき」も聞き慣れない。雪駄みたいなものだろうか。パイはきっとアップルパイではなく、食事用のパイだろう。メーン州がどこかよく分からないし、「わな仕掛け人」の生活形態も謎だ。猟師や木こりに近い感じだろうか。冒頭だけで「?」が渦巻くのだが、異国の話を想像で補いながら聞くのは楽しい。

第3章では(第3章でも)、「書く」とはどういうことか、あらゆる表現で語られている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「ライオンを部屋に入れて!」と、私は叫んだ。

  しかし、ライオンはいなかった。私は毎日を一匹の犬と一匹の猫とともに過ごしていた。彼らの身振りのすべてが、今日という日は一日中、頭のいい生き物は寝て過ごすのだということを強調するものばかりだった。私は自分自身をクランク代わりにしてエンジンを始動させるしかなかった。

  エンジンを始動させるために、私はジャッキの上に立って自分自身を吊り上げた。自分自身をボルトのように引き締めた。からたを万力の締め具の中に入れて圧力が十分に高まるまでハンドルを引き上げた。私は正確に計った用量のコーヒーを飲んだ。それはなかなか微妙な問題だった。腕のいい麻酔専門医顔負けの、用量に関する微妙な判断が必要だった。コーヒーが効果を上げる分量の幅はごく狭い。量が足りないと役立たずで、適量を越えるとまったく逆効果だった。

【エンジンを掛ける】
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  しかし今度は、ああ、私はあまりにも強くクランクを入れてしまった。もうレコーダーを吹くことはできない。軍隊らっぱが必要だ。ピアノなら壊してしまいそう。キャビンのまわりでなにができるか。割るべきまきはない。金属用の弦のころで切らなければならない仕事があったが、そんなものはこの際繊細すぎる。赤ん坊を養子にするとか、授業のカリキュラムを作るとか、ヨットで海に出るとか?

  犬は片目を開けて、上目遣いに私を見て、再び目を閉じる前にとろんとして白目を見せた。道徳的な動物になど餌を与えてはならない。彼らがそんなにえらいというのなら、彼らが書いた本はどこにあるというのか?おなかが空いて死にそうだった。が、食べるなんてもってのほかだった。吐き気はこのエネルギーを鎮めるかもしれないが、食べたらこのエネルギーはなくなってしまう。

【エンジンを掛ける】
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犬も猫も飼えなかった私には大変羨ましい環境だが、冷静と狂気の狭間を漂う著者の頭の中を、他者の声を通して知るのは面白い。

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