25年前の保育と自分
昨日の体重50.3↓
私自身、年中からの2年保育でした。私は今から25年前位の事ですが、部分的に感じた気持ち等今でも覚えています。
まずは、自分の思うようにさせてくれない事です。お遊戯にしても鼓笛隊にしてもほぼ自分とそぐわない事をやらされる、苦手な絵画や折り紙をやらされる…他にもいっぱいあります。確かに全くやりたくない事ではなかったので、イヤイヤながらそれを声に出さずやっていました。しかし、やらされたと思う事柄から更に嫌な気持ちを味わう事になりました。後に私は保育の勉強をして学んだのですが、私が幼児期に味わった「〜させられる」=先生が意図的に保育の題材を用意して一斉にする事=設定保育と現場では言っています。←明日は専門な話を交えて綴りたいと思います。
そこから繋がるのが、当時先生からはあまり言われなかったと思うのですが母からよく、私より遅く産まれた(月齢が低い)のに、〇〇ちゃん(友達)は〇〇(絵や運動等)が上手だと比較され続けました。
また、〇〇が苦手だからと習い事も沢山習わせられました。後に学校で少し皆よりできた事があると、習い事しててもその程度か…という感じで未だに言われ続けています。
そんなこんなで大体年長くらいに自分で気付くようになりました。当時は字を一斉に書いていく等の一斉保育、設定保育も色々ありました。
私、あの子より全然下手だ…私はダメなんだ…
そしてその頃くらいから楽しんで行っていた幼稚園を泣いて登園するようになりました。
その頃お遊戯会でもピアノを習っていたというだけで、太鼓がしたかった私の意見もきかず、ピアノをさせられました。
親もその頃必死に幼稚園に行かせたのだと思いますが、私も小さいながらにどうせ言ってもどうにもならないと思ったのか何が嫌かも言わずにただ泣いて過ごしました。
結局親と話して太鼓がしたい旨を話し、タンバリンを用意してもらい、納得したのかやっと泣かずに登園したのかなと記憶しています。
子どもながらに〇〇させられる事って苦痛しかないですよね。
今でこそ保育観も変わってきていますが、まだまだ設定保育をしている園も多いです。また明日は設定保育について書きます。そして、幼児期にこのような想いをした私がどう成長していったのか、今見える視点でも綴りたいです。