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つながりはなくならない。開けば、ずっとあったことに気づく。
今日の朝、自分のソウルとお話をして、今日は何をしたらよいと思う??と聞いてみたら、「大きな公園」というのが浮かんだ。
「大きな公園かあ」、、、近くに大きな公園ってないんだけどな、公園にいってなにしたらいいかな~、あ!そうだ、あそこに行こう!と大きな木がたくさんある公園に行くことにした。
公園まで30分。電車で行けばよかったか、と思いつつぶらぶら歩いて公園に到着。
公園内に入ると、歩いている人、スポーツしている学生さん、ベンチに座っているおばあちゃん、ゆっくりウォーキングしている人たちがいて、ゆるっとした空気。
ベンチでも座ろうかなと思いつつ、ぶらぶらしていると、ひときわ大きな木が目について、ふら~っといくと、腰かけるのにちょうどよさそうな石があった。
さきほどの大きな木を眺めつつ、石の上にちょこんと座ると、ちょうど太陽の光にさらされて、びっくりするくらい気持ちよく。
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そこで目を閉じながらグラウンディングとセンタリングをして、呼吸をゆっくりゆっくり整えていくと、自然とエネルギーワークが始まっていった。
わたしの周りをいくつかの存在がふわっとのぞき込んできたり、光がつよくなり、どーんと大きな虹色の柱が自分を中心として立っていった。
あ、光の柱が立ったなあ。。。なんて気持ちいいのだろう・・・としばらく感じていると、今度はそのあとにぽっかりわたしのなかの「おそれ」が出てきた。
ソウルとコンタクトできなくなったらこわい、というおそれだ。なぜ出てきたのかは分からないけど。
心の中のそれを取り出し、ゆっくりと呼吸をしながら、それを今度は情報空間の技を使って浄化していくと、だんだん心のなかの重しがとれていき、ふんわり軽くなるのを感じたので終了。
目を開けると、お父さんと1歳くらいのとてもかわいい子どもがよちよち歩きながら、葉っぱを触ったりして遊んでいた。
とても穏やかな空気に、なんだか謎に感極まってしまい、うっかり涙があふれてしまった。
最近、心の感度が爆上がりし、もうほんとどこにいても、ちょっとしたことで泣いてしまうので大変だ。
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それにしてもソウルとつながる、というのは本当に言葉にできない安心感をもたらしてくれる。
その後、近くのカフェに行って仕事をしながら、この記事を書いているのだけれど、今書きながら思い出したことがある。
わたしは小さなのころから、なにかに見守られているような、つながっているような気がしていた。
見えるわけでもないし、声が聞こえるわけではなかったのだけれど、なにかが見守ってくれている気配がするから、漠然と安心していたのだ。
でも、中学生のときに、それが急に途絶えた感じがしたことがあった。はっきりと、あ、わからない、となったことを覚えている。
どうしよう、どうしようとすごく焦って、それはだいぶ長いこと続いた。繋がる感覚がないまま、なにかをするのは心細くてしょうがない。
自分のやることなすことが、あっているのかそうでないのか、確信もないまま、いろんなことをやらなきゃいけないような、心もとない感じだ。
今思うと、それは、わたしが学校でいじめられたり、家にいるのもしんどく、たくさんたくさん思考を使うようになり、心と感性を閉じたから起こっていたんだなあ、とおもう。
つながりが切れたわけでもないし、見守られていなかったわけではない。
ただ、自分がパタンと閉じていたのだ。でも閉じなければ生きていけなかったのだろうとも思う。
あのときは、自分がなにと繋がっていたのか、見守ってもらっていたのか、わかっていなかったけれど、今ならわかる。
それは自分のソウルだったのだ。
閉じていたものは10年以上の年月を経て、まだ徐々に開いていっていたが、今回、バンっと大きく開いて本当に良かったなあ、と感じている。
あのときの心細さやおそれが残っていて、出てきてくれたのかもしれない。
そして、もう、決して閉じることはないだろう。
ほんとうに、よかった。ずっと見守ってくれていてありがとう。
ではでは、今日もすてきな1日を。