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守っているようで守られている存在のありがたさ


義理の父の三回忌法要に合わせて、関東の夫の実家に帰省しました。なかなか移動が難しいご時世だったこともあり、家族そろっての帰省は二年ぶりとなりました。

帰省の時にいつも利用させていただくお部屋は、もともと義理の祖母の仏壇があるのですが、そこにお義父さんの遺骨箱とご遺影も置かれていました。

お義父さんとの思い出


お義父さんとお会いしてお話できたのは4回程です。結婚のご挨拶、結納、結婚式、初孫を披露した時。その半年後、長女が6ヵ月の時に脳梗塞で倒れられました。一命を取り留めたものの、もうお話をすることは叶いませんでした。
穏やかな方だったので、ご一緒した時も自分の話をされることはほとんどなく、静かに人の話を聞いていらっしゃる姿を思い出します。

それでも強く記憶に残っているのは、「子ども達の写真を肌身離さず持ち歩いていた」と教えてくれた時のことです。
おもむろにポケットから財布を取り出し、中にある古い写真を見せてくれました。映っているのは幼い頃の夫と弟です。この写真を見ながら仕事で大変なことも頑張って乗り越えてきたんだと。
何十年も大切に持ち歩いていたことに驚きました。

穏やかな表情と口調でしたが、家族への深い愛情と背負ってきたものの大きさを感じて胸を打たれたことを覚えています。

倒れられてからは5年ほど入院されていましたが、意思疎通することはできませんでした。病院も帰省のタイミングで行ったりしましたが、私は3回ほどしか行けていませんでした。そればかりか、先の見えないことへの不安から費用の心配をしたりして。夫に直接それを伝えたこともありました。

そんな中の訃報となり驚きと後悔がありました。もっとできたことがあったのではないか。後ろめたい思いを抱えていたのです。


寝る前の出来事


泊まる初日の夜、夫は地元の友人たちと会う事になりました。
<ということは、あの部屋で子供たちと3人で寝るのか>
まだ新しさの残る遺骨箱や、ご遺影に緊張してしまいます。
寝る準備をして、いつもは消灯するのですが、
「今日はこのままで寝ようか」と言ってそのまま寝ようとしました。
次女が不思議そうにしています。

すると長女が、「大丈夫。私がママを守るから。」と言ってきました。
「どうしたの?」と聞くと、「ママの声で、ママの気持ちは分かるから」と笑顔を向けてくれています。

子どもって不思議です。私が守っているつもりでも、私のことをちゃんと見てて、守ろうとしてくれていることに胸が熱くなりました。しばらくして子ども達は寝ました。
子どもの愛って本当に純粋です。2人の娘たちが私を癒しに生まれてきてくれたように感じて、温かい涙が溢れてきました。
その後もしばらくなかなか眠れなかったのですが、子どもが寝た後は電気を消して、子ども達のぬくもりを感じていました。

子どもの頃の思い出


そういえば私もそうだったな。母のことが大好きで、心配で守りたいって思っていた。お酒が大好きだった母は、お酒で失敗することもありました。私はそんな母を心配していました。
ある時、家族で野球を観戦していた時、母が「あなたも飲む?」とふざけてビールのコップを渡してきました。小学校低学年だったと記憶しています。
私は、<これを飲んだらお母さんがこれ以上飲まずに済むのだ>と思って、全部一気飲みしました。

母もまさか飲み干すと思っておらず驚いて慌てていました。その後、気持ち悪くなって吐いてしまい大変な日になったのを覚えています。今思い出すととんでもない親子だなと。その時の私は、ただ母を守りたかったのだと思います。


子どもの姿を通して、自分の子ども時代を重ねることができます。どれだけ大好きな人を癒し愛していたのか感じることで、心が満たされてきます。

親としての自分の姿を通して、子ども時代の母親を重ねることができます。未熟ながらも、どれだけ一生懸命育てていたのか。どれだけ愛されていたのかを感じることで、心が癒されてきます。

感じる心さえあれば、「愛」っていつでも感じることができるのだと、そんな事を思いながら眠りについたのでした。

お読み下さりありがとうございました。


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