ホタルブクロの雫落ちて初夏2024 さやのもゆ
5月の連休が終わった、次の朝。
私は出勤するべく、車に乗ろうとしていたが、ふと、庭の植え込みの中から1本だけ伸びている葉の茎が、花を咲かせているのに気がついた。
「今年のホタルブクロは、これだけだよ。」
ちょうど表に出ていた母に知らせると、母は、私の背後からそう言った。
わが家の外周りは、細葉(イヌマキ)の生け垣がコの字に囲んでいる。坂道に沿って植わっている根元では、毎年5月の始めに赤紫のホタルブクロが咲くのだが・・。
「お母さんが変な時に草を刈っちゃったから、茎が二本しか出てこなくてー。」
私は母に尋ねた。
「じゃあ、いつ刈れば良かったのかねぇ?」
「わからん。」
でも、来年は咲くと思うよーと、言った母の声は、いつもより低く聞こえた。
今年は不作であった、赤紫のホタルブクロだがーこれとは逆に、鉢植えで育てられたカンパニュラは大豊作。
花の時期は変わらないのに、わずか二本にとどまったホタルブクロは、ひっそりと花を咲かせたのだ。
「あとで、お母さんが(水に)挿しておくから。」
母がそう言うのを背にして、私は仕事に出かけて行きー。
夜に帰宅すると、リビングに置かれたメープルシロップの瓶には、ひとさしのホタルブクロが生けられていた。
すぐそばには、鉢植えから摘んだカンパニュラが湯呑みに挿してある。
こちらは紫・白とにぎやかに花開いているのだが、未だに蕾の固いピンクのカンパニュラが待たれるところ。
カンパニュラが咲いたのもーそして、赤紫はともかくー白のホタルブクロが、生け垣の外側の土手に咲いたのも、母にしてみれば嬉しいはず。
しかし、話している時の表情に笑顔はみえなかった。
おそらく、母はー紫と白のカンパニュラを見ていながら、その心にはーこの後咲くであろう、ピンクのカンパニュラを思っている。
そして、彩りをそろえていくカンパニュラを見つめる眼差しの奥で、別の花を思う。
だからこそ、私にこう言ったのだとー今なら、わかる。
「でも、やっぱりお母さんは、赤紫のホタルブクロがいちばん好き。」
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