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浜松の象徴/松菱百貨店⑦さやのもゆ

僕は1942年(昭和17)、生まれ。現在は浜松市天竜区山東(やまひがし)に住んでいますが、中野町(なかのまち・浜松市東区)に生まれ育ちました。

 僕が子供のころに知っていた松菱百貨店が、浜松の街で一番高いビルだった事は覚えてる。あの位の高さのビルって、他に有ったかどうか覚えが無いもんな。

 何でも、昔は海からも見えたそうだけど・・まあ、見えるだろうな、高さが30mもあるんだから。だから戦争の時、米軍の沖合い(遠州灘)からの攻撃(艦砲射撃)で、標的(ターゲット)にされたんだよね。

 僕の住んでいた中野町も、それで攻撃されたものね。天竜川の鉄橋から1kmほどの所だったから。米軍が鉄橋を破壊しようとして、艦砲射撃で攻撃してきたんだ。他には戦争当時、軍需工場だったヤマハ(当時の日本楽器)も、狙われたんだよ。松菱も店内に軍需工場を持ってたしね。

 子供時代はちょうど戦後の1950年代(昭和20~30年頃)。松菱百貨店には、よく行きました。家から5、6kmの道のりを、ひとりでバスに乗ってね。木炭バスだった時の事は、おぼろげにしか覚えてないな。もちろん、(遠鉄)電車もあったけどー終点の旭町っていう駅は、たしか浜松駅(東海道線)の改札を出て右にあった。靴はどんなの履いてたかっていうと・・僕らは普段、下駄(げた)だったんだよ。

雨の時は、鼻緒がモノ悪くて、濡らすと切れちゃうもんだから、裸足で表へ出たもんだ。裸足って、気持ちいいじゃん?今じゃ、『アイシング』とか言って体温調節とかするくらいだし。そりゃ、ズック靴もあったけどね。

 松菱百貨店に一歩足を踏み入れるとー夢の世界だったって、皆は言うけど・・・確かに、売っているものが違っていたな。僕はね、「松菱でコレを買おう」って決めて行ったモノを、ひとつだけ覚えてる。それは・・・『チョコレート』。まあ、街なかの他のお店にもあったんだろうけど、松菱で買ったチョコレートは、今どきの板チョコのような洒落たパッケージじゃなかった。固めたチョコをブッ欠いたようなーそれこそ、ブッかき氷みたく、イビツな形をしてたよー三角とかね。それが食べたくて、松菱まで買いに行ったのを、覚えてる。チョコレートって、その時代のお菓子としてはちょっと別世界のものだった。子供にとっては、「松菱の味」と言ってもいいかな。それにしても、何でこんなに覚えてるのかね?

あと、ココアね。戦後(子供時代)はよく飲んだの。敗戦後の食糧不足のなかで、珍しい飲み物と言ったら、ココアだった。これは、いわゆる米軍の放出品ね。外国物だから、立派なブリキ缶に入ってて、もちろん、パッケージも英文字。コーヒーは、その後になるけど・・・ていうか、合わないじゃん?口に。ココアなら、(口に)合うんだよ。親と松菱に行ったこともあったけど、屋上の遊園地とか、大食堂で食事をしたことは覚えてない。その頃は、パンが「洒落たもん」だったから、食パンがおみやげになった位だよ。





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